<トロギール>
紀元前3世紀頃に古代ギリシャ人が建設した植民都市で、ギリシャ人が「トラグリオン」
と名づけたのが起源になっているそうです。11世紀には司教区ができ、ハンガリー王の支配下に
入りますが、自治権を持つ都市として繁栄しました。その後、1420年から1797年までヴェネツィア
、19世紀にはハプスブルク家に支配されていたようです。
トロギールは島なのですが、陸地と橋で繋がっていて、その周囲は城壁で囲まれています。
中世そのままの姿を留める旧市街は世界遺産に登録されています。
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<ホテルからの展望>
僕たちの宿はトロギールのホテルメディナ。旧市街からは少し離れています。
写真はホテルから早朝の風景です。海に臨む部屋から対岸の町に日が照りはじめる様子を撮りましたが
朝の雰囲気が出せませんでした〜(^^;朝食はいつものようにビュッフェだけど、メニューはどこも
同じようなものですね。
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<島>
トロギールの旧市街は島になっていて、橋を渡って行きます。
昨晩の夕食はこの旧市街で取ったのですが、暗くてよくわかりませんでした。
写真は、旧市街から対岸を見た風景。
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<北 門>
ルネサンス時代に建てられた北門を通って旧市街へ向かいます
門の上に立っているのは12世紀の司教で町の守護聖人の1人イヴァン・ウルスィニとのこと。
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<路 地>
トロギールの街中はこういう石畳の路地になっています。
小さな町で、かつては市街全部が城壁で囲まれていましたが、今はその一部が残っているだけです。
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<時計塔>
旧市街の中心、イヴァナ・パヴラ広場に面して立っている時計塔です。
写真左側に見えている建物は13世紀から14世紀に建てられた市庁舎だそうです。
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<聖ロブロ大聖堂>
聖ロブロ大聖堂は、広場をはさんで時計塔の向かいに建っています。
正面入り口に施された彫刻はクロアチアを代表するロマネスク美術の傑作とのこと。
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<彫 刻>
彫刻は、巨匠ラドヴァンの作品で、1240年頃に作られたとのことです。
聖書の物語などが精緻な彫刻で表現されています。この大聖堂の中で最も見ごたえがあるものだそうです。
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<大聖堂>
3世紀に殉教した聖ローレンスに捧げられたこの大聖堂は、トローギルで最も重要な建築物です。
この大聖堂の中を見学する予定だったのですが、イベントが行われていて入ることができませんでした。
また入れないのか・・ガックリしてしまいました。
13〜15世紀にかけて建てられ、シンボルの鐘楼は17世紀初頭に今の形になりました。
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<鐘 楼>
高さ47m、3層の鐘楼が建てられたのは14世紀初頭とのこと。
ヴェネツィアの攻撃でダメージを受けた後に少しずつ修復したため各階の建築様式が異なっています。
1階は1422年に修復、アーチの先が尖ったゴシック様式、2階は15世紀半ばに修復、
ヴェネツィアンゴシック様式、3階は1605年に完成、後期ルネッサンスのマニエリスムの影響が見られる
とのこと。
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<ロッジア>
大聖堂に入れなかったので、ほかの場所を見て回ります。この写真とは関係ありませんが、
大聖堂の向かいには「ロッジア」と呼ばれる屋根つきのオープンスペースがあります。
ここは裁判所、税関、集会場などとして使われたとのことですが、その壁面には、
公正を期すという天秤を持つ聖母像などのレリーフ(15世紀)が彫られていました。
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<時計塔>
外側ばかりの見学になってしまいました。もっと町の様子がわかる写真を撮ってくればよかったです。
あ、そうそう、今日の現地ガイドさんはベスナさんという女性、どんな人だったか・・
忘れました。(^^;写真を撮っておけばよかったです。写真は、先ほど紹介した時計塔、入り口上部の
像は聖セバスチャンとのこと。
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<マーケット>
トロギールのオープンマーケットでは花、野菜、果物から衣料品まで様々なものが売られています。
市民にたくさんの観光客も加わって買い物をしていました。
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<聖ニコラ修道院>
トロギルには、アドリア海沿岸のみならず中欧でももっとも保存状態のよいロマネスク=ゴシック建築群があります。
写真のベネディクト会の聖ニコラ修道院もその一つですね。
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<住 居>
トロギールの旧市街地、路地裏を歩くと市民の生活の様子を垣間見ることができます。
表通りじゃないせいでしょうか、大胆に洗濯物が干してあります(笑)
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<スプリットへ>
マグネットを購入後、トロギールの東25Kmほどにあるスプリットを目指します。
スプリットはザグレブに次ぐクロアチア第2の都市で、アドリア海沿岸の中心都市です。
古代ローマ帝国のディオクレティアヌス帝が232年に神殿を建てたところにあった
主要都市サロナが異民族の侵入によって放棄され、市民が宮殿の周囲に移住してきたのが
町の始まりとのことです。
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<外 壁>
トロギールからバスに乗ってスプリットにやってきました。
この都市もアドリア海に面した港町です。写真は、堅固な城壁に囲まれた
ローマ時代のディオクレティアヌス宮殿遺跡。
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<ローマ時代>
遺跡の中に入っていくと、ローマ時代の宮殿様子が描かれた図画がありました。
1700年も前に作られたこの遺跡の中では、まだ市民が生活をしているのです。
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<宮殿地下>
青銅の門(右上の図面で言うと右面中央にある門)から階段を下りたところに入り口があり、
地下道を抜けていきます。通路の両側にはみやげ物屋さんが並んでいました。
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<見覚えのある場所>
遺跡の中を歩いていると、見覚えのある建物が目に飛び込んできました。
そう、ここは「世界ふれあい街歩き」で放映されていた場所です!左の建物の住人と話をしていましたね。
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<大聖堂>
写真の塔とその横にある八角形の建物は、もとはディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられました。
8世紀に改築され、聖ドムニウスを祭った大聖堂となりました。
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<遺跡の中>
遺跡をそのまま利用したホテルやレストランがあります。
現在も城壁の中には600人ほどの住人が実際に生活をしているのですが、
立ち退きを命じられているとのことです。
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<銀の門>
ここは銀の門と呼ばれている東の門です。この門を外に出るとたいへん賑やかなオープンマーケットがありました。
現存するこの門は19世紀に再建されたものだそうです。正直言って、僕は石の遺跡にはあまり興味がありません。
いくら古くても石の残骸にすぎないと思ってしまうので、写真もあまり撮りませんでした。
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<グルグールの像>
宮殿の北側に巨大な像が立っています。グルグール司教はクロアチアのラテン語化に抵抗し
、スラヴ語の保護に貢献した人物です。像の左足の親指に触ると幸運が訪れるという
言い伝えがあり、みんなこの指に触るために訪れます。左足の親指はピカピカでしたよ。
ちなみに、ボクも触ってきました(笑)
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<金の門>
城壁の東西南北にはそれぞれ銀の門、鉄の門、青銅の門、金の門が開いています。
ここは北側にある金の門で、ローマ時代には大都市サロマに続いていました。
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<買い物>
外側ばかりの見学じゃなくて大聖堂の内部を見学したかったのですが、買い物に手間取ってしまいました。
む〜、今日も教会堂の中に入ることができませんでした〜
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<お土産>
ネクタイはクロアチアが発祥の地だとは知りませんでした。
それと、犬のダルメシアンもクロアチアが発祥、ということで、ダルメシアンの図柄のネクタイを
購入しました。
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<魚市場>
遺跡の中には近海で取れた魚を売る広い市場がありました。
生ものなので買って帰るわけにはいきませんね。写真左の魚はアンコウでしょうか?
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<ナロドニ広場>
魚市場のそばの路地を東に進むと旧市街の中心となるナロドニ広場が見えてきます。
ヴェネチア支配時代には市庁舎が置かれていた場所で、政治の中心として機能していました。
現在、広場を囲む建物にはカフェや売店が入っており、上層階は住宅として使われています。
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<食 事>
スプリットから少し離れたレストランでやっと昼食です。今日は魚料理ですが・・魚にこの味付けか?
日本人の口に合うかどうかではなく、ボクの好みの味ではありませんでした〜。
かなりの暑さでまいっていたせいかもしれません。外気温は36度。(^^;
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<ドゥブロヴニクへ>
食後、海岸線に沿って220km離れたドゥブロヴニクに向かいます。
地図を見ればわかるのですが、ドゥブロヴニクへはボスニア・ヘルツェゴヴィナを抜けなければ
行くことはできません。クロアチアは分断されているのです。
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<ネウム>
途中、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのネウムに立ち寄り大量のお土産を購入しました。
なんといっても物価が安いので、同じものでもスプリットよりも3割〜4割安く購入できます。
クロアチアからも国境を越えて買い物に来る人が多いとの事。
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<バチナ湖>
ドゥブロヴニクに向かう途中、バスは左手にいくつかの湖水が広がる高台で止まってくれました。
写真の湖はバチナ湖群と呼ばれていて、美しい色をした淡水湖です。
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<バチナ湖>
見るからにカルスト地形とわかります。水の色は透き通った青さではなく、
石灰岩が溶け込んだ独特のコバルト・ブルーで、クルカの水の色と同じように印象的です。
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<可愛い町>
ドゥブロヴニクに向かう途中、バスの中から見えた可愛い町です。
赤い屋根と高台にある教会が印象的ですね。ここまで来ると山が海まで迫り、平地が中心の他のヨーロッパの国々とは
全く違った様子です。
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<レストラン>
長い時間バスに揺られました。ドゥブロヴニクに近いレストランで夕食です。
メインはイカのグリル!これはとても美味しかったです。飲み物はラドラー500ml♪
ラドラーは、ビールをレモンで割った飲み物で、ボクはオーストリアで知りました。
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<夜景を目指して>
ドゥブロヴニクのホテルは「インポータンヌ・リゾート・ネプチューン」で、旧市街からは離れています。
ホテルに到着してすぐにフロントでピレ(旧市街の入り口)までバスで行く方法を聞き、
往復のチケットを購入♪同じツアーの若いご夫婦がいっしょに連れて行って欲しいというので
4人で連れ添って夜の旧市街へ繰り出しました。 8時50分のバスで出発して到着したのが9時20分、結構離れていますね〜。
バス代は、片道10クーナ(150円)でした。
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<ピレ門>
旧市街の西門であり、メインの入り口がピレ門です。門が今の姿になったのは1537年のことです。
門の前には木製の跳ね橋があり、昔は夜になると鎖を巻き上げ、門は閉ざされていました。
門の上部に立っているのはドゥブロヴニクの守護聖人ヴラホです。
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<聖ヴラホ>
あちこちで目にするこの像が聖ヴラホです。316年に殉教した司教で、10世紀頃から街の守護聖人として
親しまれてきました。毎年2月3日は聖ヴラホを祝う祭りが催されます。
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<オノフリオの大噴水>
ピレ門を抜けて旧市街に入ってくると、すぐにこの噴水があります。
夜の10時前だというのに人はどんどん増えてきます。噴水の周りにもたくさんの観光客で
賑わっていました。
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<鐘 楼>
噴水からメイン通りであるプラツァ通りをまっすぐに2kmほど進むとルジャ広場があります。
広場の東に立っているのがこの鐘楼で、壁面の時計は30分ごとに鐘を鳴らしています。
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<聖ヴラホ教会>
これがルジャ広場です。たくさんの観光客で賑わっているのがわかるでしょうか。
広場の南側に建っているのが、街の守護聖人ヴラホを祭っている教会です。
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<夜景撮影>
フラッシュで夜景を撮る人はいない筈です。三脚を立てて撮影していると、ひょうきんな人たちが覗き込んだり
カメラの前でおどけてくれたり・・(^^;三脚が珍しいのですか?(笑)
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<旧総督邸>
これはラグーサ共和国の総督が住んでいた邸宅です。建物は度重なる地震や火災などにより
修復が加えられ、現在の美しい姿になったそうです。
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<夜 景>
明るいうちにドゥブロヴニクの観光をする前に夜景を見てしまうと、昼の姿が色あせて見えるのではないか
と心配です。夜景はアラを隠してくれますからね。
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<プラツァ通り>
夜のプラツァ通りの賑わいは、こんな感じです。
もうすぐ10時半ですが、オープンカフェも満員で、まだまだこの街は眠りそうにありません。
でもボクたちは明日に備えてそろそろホテルに帰ります。
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⇒
(4)に続く
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