<モンテネグロ>
言語的、文化的にはセルビア人との違いはほとんどありません。12世紀には中世セルビア王国に組み入れられますが、
その後は内陸部をオスマン朝、沿岸部をヴェネツィアに支配されました。
1799年にオスマン朝から独立し、1910年にはモンテネグロ王国となりました。
2006年にはセルビア・モンテネグロから分離独立しました。簡単に言ってしまいましたが、非常に複雑な
歴史的変遷を辿った国です。
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<国の名>
緑深い山々をヴェネツィア人がモンテネグロ(黒い山)と例えたのが国名の由来となっています。
セルビア語ではツルナ・ゴーラと呼ばれ、やはり「黒い山」を意味しています。
さて、僕たちはドゥブロヴニクの観光も中途半端なまま、コトルに向かいました。
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<フェリー>
コトルに向かうバスはもちろん陸を走っても行けますが、僕たちのバスはフェリーに乗ります。
いわゆるショートカットですね。フェリーに乗っている時間は5〜10分くらいの短いものです。
途中、国境でパスポート検査を受け無事入国。
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<コトル>
コトルはアドリア海の入り江、コトル湾の奥にある港町。起源は古代ギリシャの時代に遡りますが、
堅固な城壁に囲まれた旧市街は12〜14世紀に形成され、世界遺産に登録されています。
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<西 門>
城壁の3箇所に門がありますが、これは一番大きな西門。
別名「海の門」とも呼ばれ、当時は
海からの訪問者の正面入り口だったそうです。現在のルネッサンス様式の門は1555年に造られたものです。
この左横にInformationがありますが、ここではなんと日本語のガイドブックが置いてあります。
日本人の観光客が比較的多いということなのかな?
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<時計台>
門をくぐって最初に見る建物がこの時計台です。
時計を見ると3時半、この時計は立派に役割を果たしていますね。
ドゥブロヴニクと違って観光客は・・・かなり少ないです。
コトルはモンテネグロにある唯一の世界文化遺産です。時計台の前に立っている先のとがった三角形状
のものは、罪人をさらしておくためのものだったそうです。
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<聖ジョバンニ要塞>
街から見上げると山がこんなに迫っていることがわかります。山の中腹に建っている教会が聖マリア教会で、
山の頂上周辺は聖ジョバンニ要塞と呼ばれています。歩いて登るとコトルを見渡せるらしいのですが、
暑さのため、パス!!
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<ピマ宮殿>
1667年の大地震のあとに建設されたルネッサンス・バロック様式の建築物です。
正面のアーチ形の門やその上のバルコニーなどに時代の特徴を感じさせています。
これ以外にもナポレオン宮殿やヴェネチアのプリンスの宮殿など多くの貴族の館が残されているそうです。
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<街の様子>
普段はもっと観光客で賑わっているのでしょうか?
シャーベットの屋台やオープンカフェが店を開いています。
でもこの日はご覧の通り、閑古鳥が鳴いていました。
現地のガイドさんは、ここコトルのブクさんという背の高い若者で、福島の震災について励ましの言葉をいただきました。
とても分かりやすい英語で街の説明をしてくれましたよ。
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<聖トリフォン大聖堂>
2つの鐘楼を持つカトリックの大聖堂です。806年に創建され、1166年に再建されたロマネスク様式で、街の守護聖人である
聖トリフォンが祭られています。1667年の大地震で鐘楼が崩落し、後に修復されましたが北側の塔は未完成です。
とりあえず街の様子を見て回って、後から内部を見学することにしました。
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<聖トリフォン>
大聖堂の入り口上部に金の像が飾ってあります。
これが聖トリフォンでしょうか、入口の前にはコトルの土産物屋さんがあり、
僕たちはここで例によってコトルのマグネットを購入しました。
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<海洋博物館>
聖トリフォン広場に面しているのは大聖堂だけではありません。
これは1732年(江戸時代中期)建造の旧グレゴリナ宮殿ですが、
今は海洋博物館になっています。でも、中を見学する気にはなれませんでした。
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<井 戸>
路地の真ん中に、井戸の跡が残されています。
これは、コトル市唯一の公共の井戸として親しまれてきたものだそうです。
現在の形は17世紀末から18世紀初頭につくられたとのこと。
1917年ごろまでは実際に女性たちが水を汲みに来ていたようですが、今も昔も人々のたまり場となっています。
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<聖ニコラ教会>
聖ルカ広場の北側に立っているセルビア正教の大きな教会です。
16世紀からドミニコ会修道院があったのですが、19世紀末の大火で焼失し、
その跡地にこの教会が建てられ1909年に完成しました。
建物上部には正教会で見られる八端十字架が立っています。
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<聖ニコラ教会内部>
ニコラ教会内陣正面のイコノスタシス(聖障)で、聖人の像や聖書の場面を描いています。
西ヨーロッパ諸国の派手な教会と違って落ち着いた雰囲気ですね。
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<聖クララ教会>
1288年、セルビアの女王によって、最初のフランシスコ会修道院がコトルの城壁都市の外側、
南門に隣接して建てられました。しかし、トルコ軍が侵攻してくると修道院を使用することを恐れ、
1656年に自ら破壊してしまいました。そしてその後、1695年に新たな修道院が南側に建設されました。
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<聖クララ教会>
現在は、ベネディクト会の女史修道院の隣に位置しています。
14世紀ごろに、フランシスコ会女史修道会が建物を取り戻し、16世紀末には同会の修道院となっています。
教会では聖クララを守護聖人として奉っていますが、コトルの人々はこの教会を
パドゥアの聖アントニオ教会と呼んでいるそうです。
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<聖クララ教会内部>
祭壇は、1708年、ヴェネツィアの彫刻家フランチェスコ・ペンソ・カビアンカによるものだそうです。
小さな教会ですが、素晴らしい彫刻が一際目を引いています。
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<内 部>
内陣の両脇はこのような絵画や彫刻が飾られていました。
それにしてもここコトルは小さな街の割りにカトリックとセルビア正教が入り混じり
多くの教会がありますね。
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<市庁舎>
大聖堂前の広場に戻ってきました。この建物は市庁舎ですが、
かつてはオーストリア=ハンガリー帝国参謀局だった建物とのことです。
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<大聖堂内部>
さて、だいたい市内のめぼしいところは一通り見て歩いたので、聖トリフォン大聖堂の中を見ることにします。
内部はこのように薄いレンガ色で統一されていてとてもきれいでした。
これまでにこんな色の礼拝堂は見たことがありません。
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<金のレリーフ>
祭壇の奥にこのような金のレリーフが飾られています。
この聖人のレリーフ群像はコトルの金細工だそうです。
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<天 井>
身廊突き当たり、主祭壇上部の石造りの天井も珍しいです。
外はかなりの暑さなのですが、さすがに教会堂の中は涼しくて気持ちがよく、いつまでも居たかったです。
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<側 面>
主祭壇のの左側と両側面には副祭壇や装飾が色々施されていますが、
何なのかがよくわからないものがいくつかありました。
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<聖トリフォン?>
何故かこの聖人のレエリーフは横になっていました。
写真を横にしたわけではありません。聖トリフォンの像でしょうか?
聖トリフォンは3世紀の人で、ワインなどとも関わりがあるらしいです。
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<街の様子>
聖ルカ広場の北側には聖ニコラ教会があり、東には聖ルカ教会が立っています。
この広場の南側の街の様子がこの写真です。オープンカフェも開いていますが、
今日は観光客が少なくて空いていますね。
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<聖ルカ広場>
聖ルカ広場の西側にある土産物や衣料品を売っている店です。
写っている女性は店の人ですが、日に焼けて真っ黒ですね。
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<音楽学校>
この建物の1階は左の写真のような店屋さんになっているのですが、上階は音楽学校とのことです。
全然それらしく見えないのが可笑しいです。
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<聖ルカ教会>
教会広場にある小さい方,ロマネスク様式の教会で、
聖トリフォン大聖堂から少し遅れる1195年に,やはりカトリック教会として建立されたそうです。
17世紀半ばになると,正教徒の教会に変わっていったらしいのですが、
カトリックも完全に排除するという訳ではなくて、19世紀まで両者の祭壇が共存していたとのことです。
なお聖トリフォン大聖堂が大被害を受けた過去2度の大地震(1667年と1979年)に耐えたそうです
から頑丈な造りなのでしょうね。
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<帰り道>
モンテネグロの世界遺産を一通り見学し、ドブロヴニクに帰ります。
今後、モンテネグロを再訪することなんて多分ないだろうから、いい経験になりました。
帰りの道中、山の中腹に建っている聖マリア教会くらいまでは登ってもよかったかなぁ・・
街を見下ろす風景が見たかったなぁ・・などと少々後悔しつつ。
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<ホテルにて>
帰り道もモンテネグロとクロアチアの国境で検問を受けます。ホテルに到着したのは7時くらいだったかなぁ。
部屋から夕焼けの風景を見ることができました。
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<夕 食>
実は夕食はホテルのバイキングだったため、あまりよく覚えていません。
どんなメニューが並んでいたのか、美味しかったのかさえ忘れてしまっています。
ただ、暑い1日だったとだけ記憶に残っています(笑)
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<外 観>
これがホテル、「インポータンヌ リゾート ネプチューン」の外観です。
夜に旧市街まで出かけたい方は、遠くてお薦めできません。
さて、明日は、ボスニアヘルツェゴビナに向けて出発です。
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⇒
(6)に続く
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