(1)ニース〜エズ  (2)エクス・アン・プロヴァンス〜アヴィニヨン  (3)アルル〜ポン・デュ・ガール  (4)リヨン〜ブールジュ〜シャン・ボール城    
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<フランス2日目>
ニースで2泊し、僕たちのフランス旅行はまだ始まったばかりです。 今日はプロヴァンス地方へ、まずエクス・アン・プロヴァンスに向かいます。 ここは画家ポール・セザンヌの出身地、どんな町なのか楽しみです。 その後、歴史的にはアヴィニョン捕囚で世界的に有名なアヴィニヨンの元法王庁を見学します。 名前は聞いたことがありますが、見るのは初めて。 ほとんど遺跡となってしまった法王庁の歴史でも勉強してきましょう(笑)
<ドライブイン>
ニースで夜遊びをしたものの、早朝6時には目が覚めて7時には朝食。 8時半にホテルを出発し、バスでエクス・アン・プロヴァンスに向かいます。 これは途中、トイレ休憩で立ち寄ったドライブイン。騒がしい集団はイタリア人の旅人でした。
<セザンヌ>
エクス・アン・プロヴァンスは、古代にこの地を治めたローマ総督の名前を冠してアクアエ・セクスティアエ=セクスティウス の水の都、と呼んだのが地名の由来とのことです。画家セザンヌが晩年を過ごしたアトリエも残っています。 今日の午前中は、この町を散策します。
これは、広場に立っているセザンヌの像。
<噴 水>
大噴水があるジェネラル・ド・ゴール広場が街の中心です。 そこから東に向かって延びるミラボー通りを歩くと、いろいろな面白い噴水が建てられています。 これもその一つ、温泉の湧く苔むした噴水です。そして、この通りから北(左側) がエクス・アン・プロバンスの旧市街となっています。
<マルシェ>
旧市街を北に向かっていくとマルシェが開かれていました。ここはリシェルム広場と呼ばれ、 地元で取れた野菜や果物が並べられていて、たくさんの人でにぎわっています。 その横を抜けてさらに北に向かって歩きます。
<市庁舎>
毎年夏に世界屈指のオペラ祭、エクス=アン=プロヴァンス国際音楽祭が開かれ、 約1ヶ月にわたり世界中から多くの観光客が訪れます。市庁舎の中庭やカテドラル、 政治研究学院大講堂などで数々のオペラやコンサート、イベントが演じられそうです。これは、市庁舎の正面。
<天文時計台>
市庁舎前の広場を中心に旧市街は広がっています。市庁舎からさらに北に向かう途中に 市庁舎広場で目に付くのが17世紀に建てられたというこの天文時計台です。
僕たちは、この時計台の下を抜けてさらに北へ、サン・ソヴール大聖堂へ向かいます。
<ポール・セザンヌ>
「エクスで生まれた者は、それ以上の場所を発見できなくなってしまう」と知人への手紙で語ったセザンヌ。 古代から温泉の沸く地として知られ、15世紀には芸術と学問の都として繁栄しました。 町には17、18世紀の優雅な屋敷が立ち並び、ミラボー通りは“プロヴァンスでもっとも美しい通り”と言われています。 セザンヌは晩年の20年間、この故郷で過ごし、150枚以上の油絵と170枚以上の水彩画を描いたそうです。 印象派の画家として紹介されることが多いのですが、絵の感じでは印象派とはかなり違うように思います。 後半生に繰り返し描いた故郷の山、サント=ヴィクトワール山はこの街の近くにあります。
<サン・ソヴール大聖堂>
ほとんどすべての様式が混在する大聖堂です。一番古い部分は、ロマネスク様式の前、5世紀とまで言われています。 そのせいか全体を見ると、統一感がなく違和感を覚える大聖堂です。 外観で一番目を引くのは、大聖堂入口になっている正面のファサードですね。
<3つの身廊>
サン・ソヴール大聖堂の中に入りました。セザンヌがミサに通った場所であり、彼の葬儀が執り行われた場所です。 12世紀プロバンス様式のローマ身廊、フロマンの芸術作品である13世紀のゴシック身廊、 そして15世紀の印象的なバロック様式の身廊の3つの身廊があります。
<壁 画>
壁画をきれいに撮ろうとするとステンドグラスが明るくなりすぎるし、ステンドグラスをきれいに撮ろうとすると 周りが真っ暗になってしまいます。写真は難しいですね〜
<洗礼堂>
大聖堂の一角に素敵な空間を見つけました。ここはメロヴィング時代(6世紀)の洗礼堂と言われています。  ローマ時代のフォーラムがあった場所で、ローマ時代の円柱が建っています。 天井からの光がとても幻想的な雰囲気を出していました。
堂の中央には丸い穴(洗礼槽)が掘られています。
<大聖堂>
この大聖堂にはニコラ・フロマンの傑作「燃ゆる茨」があるのですが、今回は見ることができませんでした。 (見つけることができませんでした)それと、ロマネスク様式の回廊も見たかったのですが、 有料だったこと、時間がなく街を歩きたかったのでパスしてしまいました。 ちょっと残念です。
<街の様子>
大聖堂を出て旧市街の様子を見て回ることにしました。とても素敵な空間が広がっています。 石畳と蜂蜜色の建物と立ち木、オープンカフェが絵になりますね。
<水の都>
ラテン語のアクア(水)から転訛したエクスの名が示すとおり、街中の至る所に大小の噴水が湧き出しています。 こういう空間を宇治にも作れないかな・・などと考えていました(笑)そうすれば、観光地としてもっと 素敵な場所になるのに。
<天文時計台>
ブラブラ歩いて先ほど通り過ぎた天文時計台に戻ってきました。 あ、そうそう、この辺りで有名なお菓子があります。 カリソン・デクス(Calissons d'Aix)と呼ばれ、昔からの特産だったアーモンドを細かく挽いたものと 砂糖漬けメロンのペーストを混ぜ合わせたものを菱形の型に入れ、砂糖と卵白を混ぜ合わせたもので、 日本人の口にも合いますよ。僕たちはアルルで購入しました♪
<集合時間>
おっと、のんびり観光していると、いつの間にか出発の時間になりました。 バスが待っているジェネラル・ド・ゴール広場まで急ぎ足です。 セザンヌのアトリエやクラネ美術館、セザンヌの生家など、まだまだたくさん見たいところが 残されているけど、仕方ありません。これが団体旅行の悲しいところですね。
<シャトーレストラン>
アヴィニヨンに向かう途中、昼食のためレストランに立ち寄ります。 このレストランはツアーに組み込まれていて、日本人旅行客がよく利用しているようです。 従業員の対応も慣れた様子。ただ、このレストランは自然の真っ只中にあり、食事にハエも参加してくれます(笑) 城=大きな屋敷ということでしょうか、素敵な食堂には梯子が残ったままだったり・・・(^^;
<プロヴァンス>
プロヴァンス (la Provence) は、フランス南東部の地域です。 15世紀末までは神聖ローマ帝国治下の独立国プロヴァンス伯爵領がありましたが、 1498年フランス王国に併合され、フランス革命まではプロヴァンス州でした。 気候は地中海に近いために、夏はわりと暑いです。でも乾燥しているため、 影に入ると涼しく感じられるのがありがたいです。
<食 事>
これはメインディッシュのポークです。デザートにはミルフィーユのケーキが出されました。 味は?薄味だったけど美味しかったですよ。 旅行で同行している仲間は全く見知らぬ方たちですが、いろいろな話をしながら食事をします。
<屋敷の中>
ここは誰の屋敷だったのでしょうか、レストランへと続く雰囲気もいい感じです。
<屋敷の外観>
外観は決して美しいとは言い難いですね〜。中はいい雰囲気なのに、もっと手入れをした方がいいのでは? などと考えていました(笑)
<食 後>
お腹も満足したことだし、午後の予定地アヴィニヨンに向けて出発。 これはレストランへと続く並木道、いい感じです。
<アヴィニヨンへ>
エクスから50km程度でしょうか、アヴィニヨンにやってきました。 バスの中から見える町全体を囲むように立てられているこの壁は何でしょうか?
<城 壁>
現在のアヴィニヨンはこのような城壁に囲まれています。 この城壁は教皇庁が置かれていた14世紀にもちろん防衛のために、建造されたものだそうです。
<サン・ベネゼ橋>
サン・ベネゼ橋は12世紀にかけられた橋で、世界遺産登録名にも顕れているように 「アヴィニヨン橋」の名でも親しまれています。
<市立音楽学校>
サン・ベネゼ橋から教皇庁宮殿跡までは200mくらい。ポクポク歩いて市立音楽学校までやってきました。 これは造幣局として17世紀に建てられた建物だそうです
<アヴィニョン捕囚>
まぁ、捕囚という言い方は、イタリアを本拠地とする場合のことで、フランス側から見ると単なる 引越しということになるわけです。このでっかい建物が教皇庁宮殿だったものです。
<教皇庁宮殿>
14世紀初め(1309年)、フランス国王フィリップ4世は、教会の権威を利用してヨーロッパでの主導権を握ろうと、 時の教皇クレメンス5世をロ−マからアビニョンに移し支配下におきました。 これが世にいう「アビニョン捕囚」です。まぁ、無理やりつれてこられたわけなのですが、 事情はともあれ一時的な引越しですよね(笑)
<入 口>
以後7代、70年にわたってアビニョンに教皇庁が置かれることになったのですが、最初は小さかった 宮殿も、教皇が変わるたびに増築され大規模な宮殿になっていったようです。 宮殿は高さ50メートルの城壁に囲まれ、1万5千平方メートルの広大な敷地には、 大礼拝堂、枢機卿や騎士団の部屋、裁判所や税務署などがありました。
<中 庭>
実は、この教皇庁にはほとんど何も残っていません。でっかい抜け殻が残されているようなものです。 ところどころに教皇庁の名残が見られるだけなのです。
<彫り物>
天井を支える僧侶の彫り物です。壁画や敷石、建物に付属する彫り物などが残されているだけです。
<天 井>
1377年のグレゴリウス11世まで、7代の法王がアヴィニョンに居ましたが、 この7人の法王は全てフランス人という当時としては異例な事でした。 この時代は教会が免罪符などを発行しおり、カトリックが一番堕落していた時代です。
この法王庁に有った全ての備品はフランス大革命の時に民衆に奪われたために、何も残っていないのです。
<祝宴大広間>
祭日、とりわけ枢機卿任命と教皇戴冠の祝宴がここで催されたのだそうです。 この天井は1970年に復元されたものですが、もともとは豪奢を好んだクレメンス6世が、 天空を現わす金を散りばめた青布を天井に張らせたそうで、壁の宗教画と共に1413年の火災で焼失したということです。
<遺 跡>
こういう像も残っています。紹介しませんが、その他に教皇の寝室などにも壁画が残されていました。
<応接室>
中には法王の寝室や書斎部屋のように写真を撮ってはいけない部屋もあって、各部屋には係員が監視しています。 ここは写真OK、どうやら応接室のようです。
<遺 跡>
教皇庁が置かれた時代、アビニョンは大いに栄え、人口は一気に5倍に増えたと言われています。 しかし、70年後にグレゴリウス11世がロ−マへの帰還を果たすと、 町はふたたび南フランスののどかな地方都市に戻りました。
<グランド・シャペル>
この大きな部屋は礼拝堂だったようです。グランド・シャペルGrande Chapelleは長さ52m、 幅15m、高さ20mの外陣で構成されています。ステンドグラスが設置されるまでは、 マテオ・ジオバネッティが鑞で描いた赤、黄色、緑の唐草模様の布が張られていたとのことです。
<出入口>
出入り口に掘られている聖人の像には頭がありません。フランス革命のときに首だけ落とされたようです。 今は首の変わりに現代芸術の作品が乗っかっています。
<岩の上に>
外に出てみると、この宮殿が大きな岩の上に建てられていることがわかります。 この光景を見て、チェコのチェスキー・クルムロフ宮殿を思い出しました。
<街の様子>
法王庁を出て街を歩いていると、メリーゴーランドが動いていました。 そういえばニースでも街中にメリーゴーランドを見かけましたが、フランスでは普通の光景でしょうか?
<サン・ベネゼ橋>
ローヌ川対岸からの光景です。橋は歩行者と騎馬通行者のために作られたものなので、歌にあるように、 みんなで輪になって踊ることは狭くて出来なかったようです。 実際に歌ったり踊ったりしていた場所は橋の下の島だったとのこと。
<法王庁>
これもローヌ川対岸から見た法王庁です。ここからはその全景を見ることができますね。
<両方を>
ローヌ川対岸からは、このようにアヴィニヨン橋と法王庁両方を写真に収めることができます。 結局、アヴィニヨンで見たのはこの2つだけです(笑)
<ホテルへ>
今日はアビニヨンで宿泊します。旧市街からはかなり離れているし、交通手段もないので夜遊びは難しそうですね。 明日に備えて休むことにしました。
<ローヌ川>
ローヌ川(Rhone)は、フランス4大河川の一つで、主としてフランス南部を流れて地中海に注ぐ唯一の川です。 鉄道や飛行機が登場する前は、ローヌ川は物資の大動脈としてフランスの南北を結んでいました。 ワインがギリシア人によって最初にマルセイユに持ち込まれると、カエサル率いるローマ軍の進軍と カトリック修道院の繁栄ともに北に西に運ばれ、ブルゴーニュやボルドーといった名産地に伝播する大きな役割を果たしたのです。
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