<フランスという国@>
フランスにやってきて3日目、いや正確に言うと、到着した日を含めて4日目。
この国に来ていくつか気がついたことがあります。 まず一つ目は、フランスでは英語をほとんど使いません。
年間5000万人以上の観光客が訪れる国なのに、交通案内、標識はフランス語だけ、
英語は観光地での表示でたまに見かける程度です。それに、モーニング♪と挨拶すると、ボンジュール♪と返されます。
意地でも使いたくないように思います(笑)
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<3日目の朝>
アヴィニヨンでは郊外のオールシーズンズ・アヴィニヨン・スードというホテルに宿泊。
市街地から離れていることを除けば、静かで、中規模の感じのいいホテルです。
ロビーでは無料の湯沸器、インスタントコーヒー、飲料水を提供してくれていました。
さて、今日はまずアルルに向けて出発です。
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<アルル>
アヴィニヨンから南に30Km程度でしょうか、アルルはローヌ川の南岸に広がる小さな町。
この街は画家ゴッホが題材にした場所が多く残っていて観光客もたくさん訪れています。
街を歩いていると、で、でかいフライパン。市場でパエリヤを作っていました。
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<エスバス・ヴァン・ゴッホ>
まずやってきたのはかつては精神病院で、耳を切り落としたゴッホが入退院を繰り返した場所です。
ゴッホはこの病院をモデルにした作品も描いています。
それがコレ<クリック>今は文化交流の場となっているようです。
ここのお土産屋さんで、カリソン(お菓子)を購入♪
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<レピュブリック広場>
サン・トロフィーム教会の隣にいい感じの広場があります。
このオベリスクはかっては円形闘技場の中にあったとのこと。下部は噴水になっています。
時計台のある建物は、アルルの市庁舎。
今日は明るい日差しが強く、まぶしいくらいのいい天気、お日様の下を歩いていると汗がでてきます。
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<聖トロフィーム教会>
アルルの町はさほど大きくないので、半日もあれば一通り巡ることができます。
これは病院跡から200mほど離れたところに立つサン・トロフィーム教会です。
ロマネスク様式とゴシック様式が混在しています。正面のポルタイユ(装飾彫刻のある門)には最後の審判
のレリーフなど美しい装飾が施されています。
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<聖トロフィーム教会>
この教会は「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の一つとして世界遺産に登録されています。
もともとはこの教会の敷地に存在していたのは、聖ステファノ(サン=テチエンヌ)に献堂されたバシリカ式教会堂だったとのこと。
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<フランスという国A>
フランスに来て気がついたこと2つ目、犬を散歩させる人々は、犬の排泄物を道路にそのままにしています。高い税金を払っているのだから
掃除をするのは国の仕事という考え方のようです。自分でごみを撒き散らしてもそのままにしておくのでしょうか?
次に、フランス人は並ぶのが苦手のようです。列を作っていても、ちょっと隙を見せるとすぐに割り込んでくるのです。
自分勝手な人種と言ってしまえばそれまでですが、一部の日本人にもいますよね。
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<教会の由来>
11世紀から、当時アリスカンに眠っていた聖トロフィーム(アルルの聖人)の遺体を、
この教会に安置しなおそうという動きが持ち上がり、そして、
1152年に遺体が移されると、彼にちなんで「サン=トロフィーム大聖堂」となったとのことです。
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<聖トロフィーム>
聖トロフィームは小アジアのエフェソス生まれで、聖パウロに仕え、46年にアルルに来て布教した人物とのこと。
少しだけ中を覗いてみました。ここには素晴らしい回廊があるらしいのですが、
時間に押されて今回は見逃してしまいました〜
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<市庁舎>
ついでに市庁舎に入ってみることにしました。
天井が丸い曲線を描き、とても芸術的ですね。
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<市庁舎内部>
同じく市庁舎内部の写真です。なんだか小さな美術館のような雰囲気です。
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<カフェテラス>
次にやってきたのはゴッホの有名な絵画「夜のカフェテラス」のモデルになった店です。
フォーラム広場の一角に今も残っていて、観光客が訪れています。
壁の色はゴッホの絵画に合わせて黄色に塗り替えられたとのことです。
店内には店にゆかりのある画家の描いた絵画がたくさん展示されています。
ゴッホの絵画はコレ<クリック>です。
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<後ろ側>
フォーラム広場、ゴッホのモデルになったカフェに向かって反対側の様子です。
まだ午前中なので客は少ないですね。
アルルでゴッホのモデルになった場所には必ずゴッホの絵画が見本で置かれています。
夜のカフェテラスの見本もちゃんと置かれていました♪
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<円形闘技場へ>
アルルと言えば、古代ローマの遺跡がたくさん残っていることで有名です。
次はアルルの路地を抜けて、遺跡の一つ、円形闘技場に向かいます。
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<アルルの闘牛場>
ゴッホが絵画のモデルにした円形闘技場。その見本と紹介がここにも置かれています。
描かれたのは1888年12月、あの黄色い家でゴーギャンとの共同生活が開始された後です。
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<世界遺産>
アルルは、古代ローマ時代にはプロヴァンス屈指の大都市として繁栄し、市内の随所に当時の遺跡があります。
円形闘技場は、1世紀末頃に建造されたアルルに現存する古代ローマ遺跡の中では最大のものです。
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<全 景>
ちょっと離れて円形闘技場の全景を写真に収めようとしたのですが、無理でした。
もっと下がらないとダメですね。それにこの時は青空が隠れていて写真としてはイマイチです。(^^;
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<フランスという国B>
フランスでへぇ〜と思ったこと。街を歩いていると、建物に「Hotel de ville」と書かれている看板が目に付きます。
ずーっと変だな、と思いつつも僕はホテルだと思っていました。でも、違います。これは市庁舎のことで、
Hotelは人が集まる場所という意味らしいのです。
へぇ〜、知らなかった〜。あたりまえかもしれないけど他の国では目にしたことがありません。
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<円形闘技場>
さぁ、中に入場してきました。これが現在も闘牛場として使われている闘技場です。
ここは中世には、要塞として使用され、なんと2つの礼拝堂と212軒の民家が収容されていたということです。
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<闘技場からの眺め>
闘技場には展望台のような空間があります。そこはとても狭くて順番待ちをしないと上がれないのですが、
日頃の行いが良いせいか、僕たちはすぐに上がることができました♪
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<ローヌ川>
アルルの町並みと、ローヌ川も見ることができます。
アルルのこういう風景を見ることができたのは予想外で、とても満足しました。
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<ゴッホ>
アルルの公園を歩いていると、耳のないゴッホのマスクを見つけました。
でも誰も注視する人がいません。写真は光線の具合で見難いですね。
この後、古代劇場跡を見学しましたが省略、次はゴッホの跳ね橋に向かいます。
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<アルルの跳ね橋>
1888年の作品です。南仏アルルの跳ね橋をモチーフにした作品は複数あって、単に「アルルの跳ね橋」
とのタイトルが付されていることがあります。
この橋の手前で洗濯する女性たちが描かれた作品の一つは、クレラー・ミュラー美術館に収蔵されています。
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<再現された橋>
実際のモデルとなった橋はアルルの中心部から約3キロほど南西の運河に架かっていたものですが現存していません。
再現されたものが観光地となっているのですが、運河の堤などの風景が異なるので絵画の雰囲気とは違ったものです。
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<田園風景>
この再現された橋の周辺は田園が広がるだけで、土産物屋さんなどは全く見当たりません。
それでも絵画の見本と解説が置かれているのだから訪れる人がいるのでしょうね。
跳ね橋の下流、素敵な風景です。
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<ポン・デュ・ガール>
ゴッホにお別れし、アルルから50km北、ポン・デュ・ガールにやってきました。
古代ローマ時代・紀元前19年頃にアウグストゥス帝の腹心アグリッパの命令で架けられたのだそうです。
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<昼 食>
ポン・デュ・ガールにあるレストランで昼食をとりました。
これは前菜、メイン料理は何だったかなぁ・・・撮り忘れです(笑)
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<ガール川>
「ガール川を渡る橋」、ポン・デュ・ガールと呼ばれています。
水道橋はアビニョンの東にある水源地ユゼスから、50キロメートル離れたネマウスス、
現在のニームまで水を引くために作られました。
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<三層のアーチ>
ポン・デュ・ガールは高さ49メートル、長さ275メートル。
三層のアーチで構成された幾何学的な美しい姿をしています。川では泳いだりボート遊びをする人も♪
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<水道橋>
近くで見るとため息が出ます。これが2000年以上前に作られたのです。
すばらしい技術力ですね。水がいかに大切なものであるか、この遺跡を見るまでもないのですが、
あらためて気づかされます。
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<橋を歩く>
そばで見ると、現代のダムほどの大きさがあります。
1層目の上は歩いて渡ることができます。みんな歩いていますが、僕は途中で止めました(笑)
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<レストラン>
この建物が昼食をとったレストランです。
ここからポン・デュ・ガールを見ながら食事をすることができます。
いい天気で、外で食事をする方も多いです。
さて、次に向かうのはフランス第2の都市リヨンです。
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<リヨンへ>
今日は8月28日(土)で、フランスの夏休みは明日で終了。ということは、休みを利用して
出かけていた人々が一斉に帰ってくるのです。そういうことで、リヨンに入るのにこんな渋滞に会いました。
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<フルビエールの丘>
山の上にフルビエール大聖堂が見えてきました。あそこがリヨンの町を一望できるフルビエールの丘です。
渋滞の中、これから、あの丘に向かいます。
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<フルビエール大聖堂>
1872年から1896年にかけて建造されました。
1998年には「リヨン歴史地区」として旧市街の教会、広場、庭園とともに、世界遺産(文化遺産)
に登録されています。
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<正面から>
大聖堂入り口の様子。このノートルダム・ド・フルビエール教会は聖母マリアにささげられた教会で、
旧聖堂の鐘楼に立っている金箔のマリア像はリヨンの象徴にもなっています。
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<リヨンの街>
フルビエールの丘から見下ろしたリヨンの町です。上からの景色を期待していたのですが、なんだか雑然としていて
決して美しい町並みとは思えませんが、いかがでしょうか。
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<ベルクール広場>
中央にルイ14世の像が立つベルクール広場が見えます。
ヨーロッパでもっとも大きな広場のひとつで、東西 300m、南北 200m の長方形。
さまざまなイベントの会場にもなります。
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<市庁舎>
写真中央にリヨンの市庁舎も見えています。
日本では考えられないけど、市庁舎の中では結婚式も行われるそうです。
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<大聖堂内部>
大聖堂に入ってみました。内部はフラッシュ禁止ですが、写真はOK。
三脚を立てないと厳しい暗さですね〜・・でも三脚は持ち歩いていないので、感度を1000にまで上げての撮影です。
華美に走りすぎず、重厚な作りの大聖堂は共感が持てますね。
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<手ブレ>
ISO感度を上げても手ブレ写真の山(笑)いくつか成功した写真を掲載しますので大聖堂内部の装飾を見てください。
これはゴシック様式というのでしょうか、やはり天井が高いです。
比較的新しい大聖堂なので、いろいろな様式が組み合わされているように思えます。
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<コリント式ですか?>
へぇ〜、この柱が特徴的ですね、コリント様式とでもいうのでしょうか。
その柱の上に彫像を配し、丸い天井へと続いています。
そういえば、アヴィニヨンのサン・ソヴール大聖堂の洗礼堂にもコリント式の柱があったような・・
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<正面全景>
フルビエール大聖堂を正面からもう一度見てみると、おぉ〜ここにもコリント様式の柱がありました。
イタリアやギリシアでは普通に使われているような気もしますが、やはりイタリア文化の影響を受けているのでしょうか。
比較的新しい建物なのに、影響と言うのも変な話ですが(笑)
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<レストランへ>
リヨンの市街地に出てきました。こんなに明るいけど、既に午後7時を回っています。
ということで、リヨンのレストランで食事に向かいます。
写真に写っている右の男性はツアーとは全く関係のない人です。
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<リヨン>
リヨンとはフランス南東部にあり「美食の都」「絹の街」とも呼ばれるフランス第二の都市です。
街にはローヌ川・ソーヌ川という2本の川が流れ、2つの川はリヨン南部で合流しています。
この2つの川の間にリヨンの中心街があり、ソーヌ川西側の旧市街は世界遺産になっています。
起源は紀元前1世紀、ローマ時代とのこと。
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<美食の都>
暗くてフラッシュも使わなかったので、色が出ていませんね〜。
まずは、ソーセージ料理です。これがソーセージ?イメージしていたものとはかなり違います(笑)
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<ポーク料理>
次は豚肉の料理です。ふむふむ、やわらかくて美味しいですが、ちょっと薄味かな。
ツアー仲間と談笑しながらの食事。今回の旅行ではディナーショーなどはありません。
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<レストラン>
僕たちが食事をしているのは、レストランの中。
ここは、日本人のツアー客が毎日のように利用しているようです。従業員も「ある程度」日本語に慣れています。
この辺りはレストラン街で、たくさんの人で賑わっていました。外を眺めるとこんな感じです。いい雰囲気ですね。
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<ホテルへ>
外に出て、レストラン街の写真を撮っていると、若いグループが手を振って「協力」をしてくれました(笑)
さて、今日のスケジュールはこれでおしまい。ホテルは市街地からは少し離れていて交通も不便なので、
残念ながら夜遊びはできません。
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4.作成中
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