<ロワールの古城>
ロワール川沿いにはフランス王家や貴族が、15世紀から16世紀にかけて建てた多くの城館が残っています。
初期に建てられたものは戦略上の「城砦」ですが、その後は王家が使う宮殿や館としての色合いが濃くなって、
美しい建物となっています。ロワールの古城は、オルレアンから下流にかけて、アンジェあたりまで
に点在していて、そのちょうど中央に位置する都市が今夜の宿泊地ツールです。
有名な所は、シャンボール城、シュノンソー城、ブロワ城、アンボワーズ城です。
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<ブロアの街>
ロワール川に沿って走るバスの中からブロアの街が見えてきました。ここで車を止めてほしいなぁ〜
アーチ型の橋脚を持つ石橋と重ねて写すといい写真になりそうですが・・バスを止めるスペースはなさそうです。
ガラス越しではこんな写真になってしまいます〜(^^;
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<ブロア城>
すぐにブロア城が見えてきました。
1429年にジャンヌ・ダルクがオルレアン解放のために出陣したのはこの城からです。
残念ながらここには立ち寄りません。
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<アンボワーズ城>
アンボワーズ城は、15世紀末にシャルル8世がイタリア・ルネッサンスを導入して改築し、
その後、孫のフランソワ1世が居住し、晩年のダ・ビンチを呼び寄せた城として有名です。
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<ダ・ビンチ>
そういうわけで、アンボワーズ城を望む対岸に、レオナルド・ダ・ビンチのこんな像がありました。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、64歳となった1515年末に、アンボワーズ城のフランス国王フランソワ1世の招きで、
イタリアのローマを離れてわずかな画材と「モナ・リザ」「洗礼者聖ヨハネ」「聖アンナと聖母子」などの作品を携え、
アンボワーズ城に近いクルーの館(フランソワ1世が幼年期を過ごした館)へ移り、晩年をこの地で過ごしました。
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<血塗られた城>
アンボワーズ城は、古代ローマの砦跡に、建築されたルネッサンスの城です。
この城は、1437年以来、8人の王の城となりました。
フランソワ2世の時代には、旧教徒による新教徒1500名大虐殺事件(アンボワーズ陰謀事件)の舞台にもなった血塗られた城です。
城内の礼拝堂にはレオナルド・ダ・ヴィンチの墓碑が有るそうです。
対岸からの城は優雅で美しい姿ですね。
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<モナ・リザ>
ダ・ヴィンチの没後「モナ・リザ」は、フランソワ1世によりフォンテーヌフロー城で、
その後ヴェルサイユ宮殿でフランス王室の大切なコレクションとして大切にされました。
現在は、ルーブル美術館のガラスケースに収められています。
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<トゥール>
アンボワーズ城を見た後、宿泊地トゥールに向かいます。
ロワール河とシェール河に挟まれたトゥールは、ローマ時代から栄えてきた古い歴史を持つ町です。
現在はトゥーレーヌ地方の中心をなしていますが、15世紀のルイ11世の時代には、
一時的にフランスの首都となったこともありました。
古城めぐりの拠点として観光客が大勢訪れています。
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<レストラン>
トゥールに到着して、すぐにレストランへ。
今夜の夕食はトゥール駅の近くにあるレストランです。前菜はトマトのサラダです。
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<チキン>
メインはチキンとツナ。食事が終わる頃には午後8時を過ぎていて、外は薄暗くなってきています。
ちょうど夜遊びに出かけるにはいい時間ですね(笑)
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<トゥール駅>
町の玄関、トゥール駅はエッフェル塔の登場からおよそ10年後、1898年に誕生した歴史のある建物で、
鉄とガラスでできています。2006年に修復されてきれいになりました。
駅前からは古城巡りツアーのバスが発着しています。
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<市庁舎>
ホテルは駅前のグランドホテルなので、夜遊びにはいい立地です。
ブラブラ歩いて、まずは、町の中心ジャン・ジョレス広場にあるトゥール市庁舎のライトアップを見学です。
堂々とした風格の建物ですね。
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<サン・マルタン寺院>
市庁舎から北西に10分ほど歩くと、この寺院があります。
4世紀トゥールの司教、聖人マルタンを祀ったネオ・ゴシック様式の寺院。
地下礼拝堂には聖マルタンの墓が置かれています。20世紀初頭に完成した比較的新しい教会ですが、
1996年には当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が訪れたこともあるそうです。
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<旧市街>
さらに北に向かって5分ほど歩くと、中世の街並みが続く旧市街があります。
とりわけ、木組みの建物が周囲をぐるりと取り囲むプリュムロー広場(Place Plumereau)が有名です。
広場にはオープンカフェが広がり賑わっていました。
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<プリュムロー広場>
広場周辺の小さな工房が連なる狭い路地には、古い時計塔やロマネスク様式の教会などが並び、
数百年の歴史の息吹を伝えています。路地から歩いてくると、15世紀の木骨組みの家に囲まれた
プリュムロー広場が目の前に現れます。
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<ウィルソン橋>
トゥールのメインストリート、ナショナル通りを北にしばらく歩くと、ロワール川に当たります。
そこに掛かっているのがこのウィルソン橋。ライトアップされてきれいでしたよ。
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<ロワール祭>
トゥール市が、夏のイベントとして主催する「ロワール祭」は、バカンス中に街のあちこちで様々な催しが繰り広げられます。
ウイルソン橋の上にはためいているのは「ロワール祭」の開催を告げる色とりどりの旗です。美しくライトアップされた橋は
一見の価値があります♪僕たちは川辺のベンチに座って、しばらくこの風景を楽しみました。
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<サン・ガシアン大聖堂>
路地を東に向かって歩いていると、突然この大きな大聖堂に出くわします。
夜なので中を見ることはできませんでしたが、トゥールに来たら是非このサン・ガシアン大聖堂を見てください。
12世紀から16世紀まで、長い時間をかけて完成した大聖堂であるため、ゴシックやルネッサンスなど異なる様式が同居
しているファサードが特徴の、美しいカテドラルです。
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<モンサンミッシェルへ>
夜遊びを終え、ホテルに帰ってくるともう11時、今日もたくさん遊びました。
明日は最大の目的地、モンサンミッシェルに向けて出発です。ゆっくり休むことにします。
翌朝はホテル発8時30分、トゥールから273kmの道程をバスで走ります。
どうやら午前中はバスの中で過ごすことになりそうですね。北フランスの風景を楽しみながらのんびりしましょう。
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<モンサンミッシェルへの道>
バスの中から遠景で見えていたモンサンミッシェルが目の前に姿を現しました。
フランスの西海岸、サン・マロ湾に浮かぶ小島にある修道院、キリスト教の巡礼地です。
島に続く道にバスを止めての撮影。
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<お告げ>
フランス随一の巡礼地として知られ、その起源は708年、聖オベール司教が夢に現れた大天使ミカエルの
お告げに従い、修道院を建設したことに始まります。
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<ガブリエル塔>
これは1524年に島の西側に作られた見張り塔で防御のため一時は大砲もありました。
19世紀からは灯台として使われています。
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<青空と修道院>
今日も雲ひとつないいい天気です。
この辺りの気候は、わりと雨が多いらしいので、またまた日ごろの行いが良いせいだと一人満足♪
大きく写しても美しい修道院です。
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<城 壁>
よく見ると、街はぐるりと城壁に囲まれて要塞になっています。
修道院に続く麓にはレストランやホテルがぎっしり立ち並んでいます。
城壁の外には、大きな駐車場があります。
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<駐車場から>
修道院は島の頂上(トンブ山、標高約80m)に建てられたので、かなりの難工事になり、
完成したのは16世紀頃と言われてます。11〜12世紀にはロマネスク様式の僧院が出来上がり、13世紀には
ゴシック様式の教会が造られました。途中の14世紀には英仏百年戦争の巻き添えを喰って、
修道院の周囲には、城壁や物見の塔などが造られて要塞化しました。
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<グランド・リュ>
王の門と呼ばれる街の入り口から修道院の入り口まで続く島のメインストリートをグランド・リュと呼びます。
道の両側には20世紀に復元された店が多いのですが、中には15、6世紀のものもあります。
写真の中にキティちゃんが見えるでしょうか?
こんなものまで売られています(笑)それにしても、すっごい人・人・人・・・これがみんな観光客。
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<レストラン>
モンサンミッシェル修道院観光の前に写真のレストランで昼食です。
ずーとバスの中にいたのであまりお腹は空いていなかったのですが、
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<昼 食>
モンサンミッシェルに来たら是非食べてみたかったオムレツ。
空気をたくさん入れて泡立てているフワフワのスフレ風オムレツは、
でっかいけど、ほとんど味付けされていません。
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<店の中>
モンサンミッシェルで一番有名な店「ラ・メール・プーラール」ではありません。
オムレツに塩と胡椒をかけて味付けすると、割と美味しかったです(笑)これは店の中の風景。
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<メイン>
もちろん、フワフワのオムレツだけでは物足りません。
メインは肉料理。味付けは・・忘れているくらいだから可もなく不可もなくといったところでしょうか。
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<店>
土産物屋さん、レストランがズラっと立ち並んでいます。
僕たちは、記念にモンサンミッシェルのキーフォルダーとマグネットを購入しました。
今、車のキーにぶら下がっています。
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<坂 道>
グランド・リュを進み、途中から島の中央の修道院へと登る階段を登っていきます。
あたりまえだけど、ずーっと坂道です。人の波に流されるように上へ上へと登っていきます。
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<テラスより>
修道院入り口付近は大きなテラスになっていて、そこからは島の周りの風景を見渡すことができます。
これは、僕たちの通ってきた島に続く道路と駐車場。
バスの半分は日本人観光客だそうで、僕たちが乗ってきたバスもあの中にあります。
乗用車の数もすごいですね〜
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<入口周辺>
入り口付近から見上げた図です。青空と修道院の尖塔がとても美しかったです。
現存する聖堂や礼拝堂などの建物は何度も崩壊の危機に見舞われ、それを修復したものです。
モンサンミッシェル(Mont Saint Michel)とは「聖ミカエルの山」という意味。
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<要塞都市>
先にも書きましたが、14世紀に英仏百年戦争が始まると、モンサンミッシェルは英国からの侵入に備える要塞として
銃眼を備え、大砲を据え置き、籠城用の地下貯蔵庫を整えました。
え〜と、これもテラスからの風景。
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<潮の引いた海>
モンサンミッシェルは一度も英軍の手に落ちなかったことでフランス軍士気高揚のシンボルとなり、
後にこの尖塔には悪魔のシンボルである龍(ドラゴン)と戦う大天使ミカエルの像が飾られたそうです。
テラスから潮の引いた海を見ると、こんな感じです。
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<付属教会>
11〜12世紀に完成した教会は、その後何度か崩壊し、修復されました。
本堂北側は12世紀のロマネスク様式、内陣と後陣は15〜16世紀のゴシック様式となっています。
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<ミカエル>
ミカエルは、天軍の長で、最後の審判のときに死者の心臓をはかり、天国に送るか地獄に送るかを選別する役割を果たすそうです。
写真のミカエル像は、片手に心臓の重さを量るための天秤を提げています。
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<回 廊>
修道院に暮らす僧たちの瞑想の場となっていました。2重に立つ円柱をわずかにずらすことで、柱が延々と続くような錯覚を起こさせます。
柱に施された美しい彫刻も見逃せません。
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<柱の彫刻>
一つ一つの柱に施された彫刻は、同じものがありません。
植物や花の浮き彫りなのですが、これを見て回るだけでも楽しいです。
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<回廊の壁>
回廊上部の彫刻は古くなって崩れたものもあれば、削り取られたものもあります
この回廊は【ラ・メルヴェイユ】(驚異の建築)と呼ばれる棟の最上階へ繋がっています。
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<回廊の様子>
写真は回廊の様子ですが、この女の子を狙って撮ったわけではありません。
誰もいないところを撮りたかったのですが、人が多すぎて無理でした。
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<薬草畑>
真ん中の庭園は昔は薬草畑で、ここは高度な医療や医学が発達した研究機関だったようです。
観光客の数が多く、どこを撮っても人ばかり。
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<食 堂>
美しくカーブした丸型の天井や、ほのかに光が差し込む59もの小窓が神秘的な印象を与えるこの大きな部屋は、
食堂です。この広さを見ると、修道僧がいかにたくさんいたかがわかりますよね。
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<小 窓>
食堂の小窓はこんな感じです。さまざまな幾何学的な模様が窓ガラスに刻まれています。
暖炉がないこんな大きな部屋で冬に食事をするのは忍耐が必要ですね。
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<陸地化>
1877年には島と対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになりました。
でも、これによって潮流をせき止めてしまい、100年間で2mもの砂が堆積してしまいました。
島の間際まで潮がくることは滅多になくなりつつあるため、かつての姿を取り戻すべく、この地続きの道路が取り壊され、
代替となる新たな橋がかけられることが計画されているそうです。
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<貴賓室>
身分の高い人や尊い客人などをもてなした部屋と言われています。
この部屋もゴシック様式アーチ型の天井と葉型模様の装飾が美しいですね。
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<サンテチエンヌ礼拝堂>
チャペルと言っても19世紀まで死者の安置所だった場所です。祭壇に向かって左手の壁には
キリストを抱くマリア像の「ピエタ」が置かれています。
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<騎士の部屋>
ここは、13世紀以降修道士が写本と細密画の制作に従事した部屋でしたが、
1469年フランス王ルイ11世が聖ミカエル騎士団を創設してから騎士の大広間と呼ばれるようになったそうです。
特徴のある柱はアカンサス模様。ここには大きな暖炉も設置されています。
さて、これ以外にも大車輪などいくつか紹介を飛ばした部屋もありますが、ポイントは押えることができたのでは・・(笑)
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<出 口>
観光地の出口には必ずお土産屋さんがあります。そこを抜けて出口に来ると、
モンサンミッシェルのトップにある黄金像のレプリカが見送ってくれます。
悪魔の象徴であるドラゴンを踏みつけ、右手に剣を持ち、左手には楯を持っている石の像です。
これで修道院観光は終わり、再び街の様子を見て回ります。
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6.作成中
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