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<午後の計画>
地図を見ながらこれからの計画を立ててみました。 今いるところはオペラ座周辺、ここから歩いていける距離に「マドレーヌ教会」があります。 教会が大好きなボクには、ここは外せません。それからさらに徒歩でコンコルド広場へ、 それから近くのサン・ロック教会、さらに歩いてシテ島に渡りノートルダム大聖堂へ。 次に、シテ島から出発するセーヌ川クルーズへ、それからどこかのレストラで夕食を取り、 パリの夜景を見て回る、こんな計画を立てました。残念だけどモンマルトルの丘やシャンゼリゼ通りは 捨てます(笑)きっといつか、またパリには来る機会があると思います。
<マドレーヌ教会>
予備知識なくやってきたマドレーヌ教会、その外観はコリント式の高さ30mの柱が52本並び、 古代ギリシア・古代ローマの神殿を模したネオ・クラシック様式です。
正面階段にはきれいな花が飾られ、たくさんの人が腰掛けて休憩しています。 この教会は、マグダラのマリアを守護聖人とするカトリック教会で、 当初ブルボン王家により建設が開始され、フランス革命後、ナポレオン1世が引き継いだのですが、 その彼も失脚し、最後はルイ18世により完成されたものだそうです。
<キリストの洗礼>
中に入るとすぐ左側にリュード作『キリストの洗礼』の大理石像があります。 ところで、この名前の由来となった聖女「マドレーヌ」とは何者でしょう? 実は、聖マドレーヌとは、「マグダラのマリア」のことなのです。つまり、この教会はマグダラのマリア を守護聖人としているのですね。 お菓子のマドレーヌの語源も、この聖女のフランス名「マリー・マドレーヌ」に由来しているそうですよ。
<聖マドレーヌの昇天>
正面の祭壇にあるこの像が「聖マドレーヌの昇天」です。 両側の天使たちに支えられて天に昇っていくマグダラのマリアの姿が、 見事な美しさで表現されています。 二人の天使に守られて聖女マドレーヌが天に向かう彫刻が、下からの青白いライトで祭壇の上に浮き上がっていました。
<マグダラのマリア>
福音書の中にマグダラのマリアに関する記述がいくつかあります。 悪霊に憑かれた病をイエスによって癒され、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届け、 そして、復活したイエスに最初に立ち会った一人の女性です。『マタイによる福音書』によれば、 彼女は復活の訪れを弟子たちに告げるため遣わされたことになっています。そのため「使徒たちへの使徒」と呼ばれる特別な 存在だとも言えます。事実、イエスは生前、彼女を特別に扱っていたように思います。
<扉>
それにしてもマグダラのマリアが聖人になるとは・・・人間の考えることって面白いですね〜。 マドレーヌ寺院の入口には、大きな黒い扉があります。その扉には、写真のようなレリーフが施されています。 これはトリケッテイ作の「十戒」をテーマにしたレリーフとのことです。 それにしても、こんなでっかい扉は実際に開け閉めしているのでしょうか? 一人で動かしているとしたら重くて大変だろうなぁ・・・。
<最後の審判>
どう見ても古代ギリシャの神殿ですね。ギリシャ建築風のカトリック教会といったところでしょうか。 正面上部はルメール作の「最後の審判」の彫刻に飾られています。
<コンコルド広場>
マドレーヌ教会から歩いて5分くらいでしょうか、コンコルド広場にやってきました。 1836年にエジプトから贈られた(ナポレオンが勝手に持ち帰った)オベリスクがシンボルマークになっています。
<ルイ15世広場>
もとはルイ15世広場といって、彼の病気治癒を祝って作られた広場でした。 フランス革命の時に、「革命広場」と改名され、広場中央にあったルイ15世の騎馬像は溶かされてしまい、その代わりに 「自由の像」が置かれました。 現在は「調和」を意味する「コンコルド」広場に改名されてます。
ここは凱旋門から続くシャンゼリゼ通りの終点、写真の遠くに凱旋門が見えています。
<処刑場>
凱旋門、シャンゼリゼ通り、コンコルド広場、チュイルリー公園、ルーブル美術館は一直線上にあります。 1755年に建設された歴史のある広場で、フランス革命ではここでルイ16世やマリーアントワネット、ダントン、 ロベスピエールらが処刑されました。以前はギロチンが置かれていたそうですが、今はありません。 このコンコルド広場からはエッフェル塔や凱旋門、セーヌ河などが一望できます。
<海軍省>
コンコルド広場の北側に海軍省の建物が見えています。その左側にある建物はクリヨンホテル。 この広場からはルーブルにも行けるし、シャンゼリゼにも通じているので、観光客の通過点になっているようです。
<チュイルリー公園>
この公園は元は宮殿の庭として作られましたが、今は市民の憩いの場となっています。 噴水の傍にベンチがあり、気持ちよく昼寝をしている方もいます(笑)
<ひと休み>
ヴェルサイユ宮殿の庭園も造園したルノートルが設計したチュイルリー公園は、左右対称の典型的なフランス式庭園です。 ルーヴルのピラミッドのすぐそば、カルーゼルの凱旋門からオベリスクのそびえるコンコルド広場まで広々とした散歩道になっています。 この日もとてもいい天気で歩き回っているとのどが渇いてきました。 コンコルド広場とチュイルリー公園の境に出ていた露店でシャーベットを買って、公園のベンチで一休み♪
<公園からの景色>
チュイルリー公園から西に向かって素敵な景色が広がっていました。 写真には公園の噴水、コンコルド広場のオベリスク、凱旋門まで写っています。 これぞフランスと呼べる光景の一つではないかな?
<ルーブルから北へ>
チュイルリー公園をさらに東に向かって歩いてくると、ルーブル美術館。次の訪問は・・・ 地図を見ると、ここから北の方向に少し歩いたところにサン・ロック教会があります。 これも全く予備知識がないし、観光案内には載っていないのですが、とりあえず行ってみることにしました。
<サン・ロック教会>
サンロック教会はイタリアでペスト患者を助けた聖人サン・ロックに捧げられた教会で、 1653年から建築が始まったのですが資金不足のため建設が中断、再開したのは1705年とのことです。 教会の中央にある扉が閉まっているため、一見、入れないように思えます。 だから出入りがありません。が、脇にある勝手口から覗いてみると、入れそうな・・・
<内 陣>
ずーずーしく入ってきましたが、中には誰もいません。 のびのびと見学をすることができました(笑) 2008年、長年にわたり世界のファッション界をリードし、「モードの帝王」と呼ばれたイヴ・サンローラン氏が71歳で死去した 際に、その葬儀がこの教会で行われたそうです。内陣はこんな感じです。外から見るよりは広いです。
<宗教芸術>
サン・ロック教会はパリの教会の中でも広さ、そして彫刻や絵画などの宗教芸術の豊富さを誇っています。 正面から見ると、全長126mの大きさが感じられないのは、何度もの工事の中断、再開を重ねて、 奥深く継ぎ足しされてこの全長に至ったからだそうです。 教会は1754年に完成しました。
<失われた芸術品>
当初の設計は、ソルボンヌ大学の設計者でもあるジャック・ルメルシエによって初期設計が行われています。 1750〜1770年にかけて、マルデュエル(Jean-Baptiste Marduel)神父は、当時の有名な芸術家たちの絵画と彫刻を設置しました。 しかし、フランス革命の時代に数々の芸術品やパイプオルガンは、破壊や略奪によってそのほとんどが跡形もなくなってしまいました。
<聖ドニの宣教>
今では、サン・ロック教会にもともとあった芸術品はほとんどありませんが、パリ市中の宗教芸術が結集され、 18〜19世紀の重要文化財となる作品が見られる教会となりました。 写真は、ヴィエン(Joseph-Marie Vien)による絵画「聖ドニの宣教(1767年)」です。 ここは、当初はサン・ロック通りからの出入口となっていましたが、1763年に封じられてこの絵画が置かれました。
<礼拝堂>
この教会の面白いところは、祭壇が3重の構造になっているところです。 写真をよく見てください。一番内側の祭壇からさらに奥のキリスト像まで深い立体構造になっているのがわかるでしょうか。 一つ目の祭壇上部には、天上からの光と雲が造形されていました。
<ゴルゴダの礼拝堂>
一番奥に位置しているゴルゴダの礼拝堂は、建築家ブーレーによって 1760年に建造されました。このゴルゴダとは、もちろんキリストが十字架にされたゴルゴダの丘をさしています。 当時あった木のキリストはソルボンヌ大学のチャペルにあった大理石の物になり、 ファルコネ作の戦人はデセーヌのものになり、このブーレーが設計したとされる祭壇で当時の物は何も残っていません。
<2つめの祭壇>
左右に開けられている通路を抜けて一つ目の祭壇から2つ目の祭壇へと入っていくことができます。 写真は2つ目の祭壇で、多分キリスト降誕の様子を彫刻にしたもののようです。 この彫刻を通して奥のキリスト像が浮かび上がり、実に巧妙で不思議な光景になっています。 さらにこの奥、ゴルゴダの祭壇へと続く通路が続いてます。
<3つ目の祭壇>
この写真が最深部にあるゴルゴダの礼拝堂と呼ばれる祭壇です。 ゴルゴダの丘で十字架にかけられたキリスト像を配置しています。 天窓があるのでしょうか、上部から光が差し込み幻想的で素敵な空間となっています。 観光客が素通りするこの教会に入って、なんだか得した気分になりました。
<礼拝堂上部>
第一の祭壇から上部を見上げた図です。 パリに来ることがあったら、是非この教会を訪れてみてください。 僕たちが見学していた間に入ってきた観光客はたったの1人でした(笑)
<パレ・カルディナル>
サン・ロック教会を出て東に少し歩くとパレ・ロワイヤルがあります。 ルイ13世の宰相だったリシュリューの私邸として建設され、当初はパレ・カルディナルと呼ばれました。 これは、その回廊。人が少なくて散策するのにいい場所です。
<パレ・ロワイヤル>
リシュリューの死後、国王ルイ13世の所有となり、彼の死後に幼いルイ14世が暮らしたことから パレ・ロワイヤルと呼ばれるようになりました。 写真はパレロワイヤルの庭園、観光客に侵食されない憩いの場になっています。
<ルーブルを抜けて>
パレ・ロワイヤルのすぐ南がルーブル、ここを抜けてシテ島をめざします。 その前に、トイレ休憩(^^;ルーブルの中に再入場してトイレを借りました(笑) この周辺には公衆トイレがないのです〜
<カルーゼル凱旋門>
ルーブルの反対方向(西)を見ると、カルーゼル凱旋門が立っています。 その中央の門を通してコンコルド広場のオベリスクやエトワール凱旋門が見えていました♪ 本当に一直線上にありますね。
<シテ島>
ルーブルから歩くと15分くらいでしょうか、セーヌ川の中洲になっているシテ島が見えてきました。 ここはパリ発祥の地と言われています。見えている橋は、アンリ4世の命で1604年に架けられた、現存する パリ最古の橋ボン=ヌフです。
<シャンジュ橋>
ポン・ヌフを渡りながら撮った写真です。 この橋はナポレオン三世の第二帝政時代に建てられた橋の特徴で、 橋桁の中央に大きく「N」のマークがつけられているシャンジュ橋。
<ノートルダム大聖堂>
ポクポク歩いてシテ島の東側、ノートルダム大聖堂にやってきました。 入場は無料なので、たくさんの観光客が訪れています。 かなりの距離を歩いたので、ちょっと疲れてきました。
<我らの貴婦人>
ノートルダム大聖堂は1163年に建築が始まりましたが、完成したのは1345年。 「ノートル・ダム」とは日本語では「我らの貴婦人」という意味で、聖母マリアを称えるために作られたそうです。
<最後の審判>
ゴシック様式を代表する建築で、全体の色から「白い貴婦人」とも呼ばれます。 正面中央の入り口上部にはキリストによる最後の審判の様子が浮き彫りにされています。
<身 廊>
中に入ると、ここにもたくさんの人!三脚を立てるのは無理ですね。 アーチ状の天井を支柱で補強することで高さと奥行きがある空間を作り出しています。 薄暗い礼拝堂に差し込む光が美しいです。
<ナポレオン1世>
前にルーブル美術館にあった「ナポレオン1世の戴冠式」を紹介しましたが、 あの絵画は、ジャック・ルイ・ダヴィッド(1748〜1825年)の傑作で、 1804年12月2日にノートルダム大聖堂で行われたナポレオン1世の戴冠式の様子を描いているのです。
<ジャンヌ・ダルク>
ジャンヌ・ダルクは、英仏百年戦争真っ只中の1429年に突然歴史の表舞台に登場します。 しかし、パリの奪回に失敗すると、コンピエーニュの戦いで親イギリス派のブルゴーニュ軍によって囚われの身となります。 ジャンヌはイギリスに売り渡され、宗教裁判の末に魔女として火刑に処されるのです。
<復権裁判>
百年戦争終結後、シャルル7世はジャンヌ・ダルクの名誉回復のための復権裁判を命じます。 その裁判が行われたのも、このノートルダム大聖堂です。1456年、ジャンヌ・ダルクの無実が証明され、 1920年になってようやく彼女はローマ教会によって聖人に列せられました。 この写真とは全く関係のない話ですが(笑)
<ステンドグラス>
大聖堂の窓と言う窓は全てステンドグラスで飾られていました。 外の光が堂内に差し込むとステンドグラスの色が壁に映りこみ、とてもきれいでした。(右及び右上の写真)
<赤茶色の壁>
この後半部分の壁の色は突然、赤茶色になっています。使われている素材が違うようですね。 ここでも外の光がステンドグラスを通して壁に映りこんでいました。
<バラ窓>
ノートルダム大聖堂の最大の目玉は北、南、西の3ヶ所にあるバラ窓と呼ばれる巨大なステンドグラスです。 3箇所あるバラ窓のうち、北は紫色、南のバラ窓は赤く輝いています。 北のバラ窓は1255年頃に作られたそうです。
<北のバラ窓>
中央には聖母マリアと幼いキリストが描かれ、その周囲には旧約聖書に登場する聖人やユダヤの王たちが 描かれているらしいのですが、よくわかりません(笑) バラ窓は内陣側面のこんな高いところに設置されています。
<キリストの一生>
奥の祭壇へと続く廊下にキリストの一生を描いたレリーフがあります。木造の紙芝居みたいなものです。 こうやって聖書の話を教えていたのですね。じっくり見て回っていると、教会の神父さんがうちの奥様に声をかけてきました。
<神は愛なり>
フランス語じゃなくて、神父さんは英語で話しかけてきました。 「神は愛なり」というパンフレットと日本語で書かれた説明書を渡され、どうぞ読んでみてくださいとのこと。 奥様はなんで私に?と思ったようですが、罪深い顔をしていたのでしょう(笑)
<聖母像>
中世フランスの地方はまだキリスト教が広まってませんでしたし、 地方から都会へ出てきた一般の国民は読み書きのできる確立が低く聖書が読めなかったので、 教義やキリストの一生をレリーフやステンドグラスに表すことで、文字の説明に代えていたのでしょうね。 読むよりもわかりやすいです。そういえば、日本の歴史なども最近は漫画がわかりやすいです。
<マリア信仰>
ノートルダム寺院の大きなものはパリ、シャルトル、ランスのものですが、フランスの各地に存在しています。 キリストそのものよりも聖母マリアを信仰するというのはいかがなものか、といつも思っているのですが、 教会の勝手というものでしょう。日本では魚の骨でも神になるのですからね(笑)さて、そろそろ次に進みましょう。
<最高裁判所>
ノートルダム大聖堂の展望台に上りたかったのですが、入り口が見当たらなかったので、 シテ島にあるサント・シャペルに向かうことにしました。宮殿のようなこの写真はサント・シャペルの隣にある最高裁判所です。
<サント・シャペル>
ノートルダム大聖堂の近くにあるサント・シャペルのステンドグラスが素晴らしいという事前情報に基づき、 入り口まで言ったのですが、中に入るには身体検査、持ち物検査が必要で、しかも有料。せっかくだけど止めました。 でも、後で考えてみるとやっぱり入ればよかった〜。好奇心旺盛な僕らしくない行動でした。
次に目指すのは、シテ島から出ているセーヌ川クルーズ船です。
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