(1)ニース〜エズ  (2)エクス・アン・プロバンス〜アヴィニヨン  (3)アルル〜ポン・デュ・ガール  (4)リヨン〜ブールジュ〜シャン・ボール城  
 (5)トゥール〜モンサンミッシェル  (6)モン・サン・ミッシェル〜オンフルール (7)ジヴェルニー〜パリ@  (8)パリA   (9)パリB
<セーヌ川クルーズ>
事前の調査によれば、セーヌ川クルーズを運営する会社は計4つあります。 それぞれ発着地点、値段、運行時間が微妙に違うのですが、僕たちはポン=ヌフの近くから出発する 「ヴデット・デュ・ポンヌフ」にしました。で、同じセーヌ川クルーズでも、いつ乗るかで印象が全然違うそうです。 一番いいのは、夕暮れの時間帯だそうで、日中、夕暮れ、夜と3つの景色が楽しめるからとのことです。 僕たちは6時半の便に乗ったのですが、この季節、夕暮れを狙うなら8時過ぎくらいの便の方が良かったかな。
<クルーズ船>
実は日本でこの船に乗ろうと決めていたので割引券を印刷していたのですが、なんと!ホテルに忘れてきてしまいました。 うぅ〜バカなことを。(^^; 6時、乗り場にやってくると、すでに船が待機していましたが、2階建てのものではありません。 で、帰ってくる船を観察していると、次の便が2階建ての船だったので、一便遅らせることにしました。
<逆光のクルーズ>
待った甲斐があり、次の船には先頭で乗り込み、2階の一番先頭の席に座ることができました♪ しかし、日が西に傾いているため、行きは逆光の風景になります。写真は最初に南岸に見えたフランス学士院。
<オルセー美術館>
次に南岸に見えてきたのは「オルセー美術館」です。ルーブルが近代までの古いものを集めているのに対して、オルセーは 印象派から現代までの比較的新しい作品が多く収蔵されているようです。
<国民議会>
さらに西に進むと、マドレーヌ教会に似た建物が見えてきました。 これは、ブルボン宮(国民議会)です。 1722年、ルイ14世とモンテスパン夫人との間に生まれたブルボン公爵夫人のために、建築家ガブリエルによって建てられたそうです。
<アレクサンドル3世橋>
ブルボン宮のすぐ西にアレクサンドル3世橋が架かっています。 この橋は、エッフェル塔と同様、1900年のパリ万国博覧会の開催時に架けられた、世界で最も豪華装飾的な橋です。 橋の四隅に立つ黄金のペガサス像が特徴的です。
<アルマ橋>
アルマ橋は1856年4月2日、ナポレオン3世により除幕されました。このときには橋は4体の像で飾られており、 ディーボルトによるアルジェリア歩兵と擲弾兵、アルノーによる猟兵と砲兵でした。 で、現在残っているのは写真のアルジェリア歩兵だけとなっています。 橋脚にこんな像が立っているなんて面白いですね。
<エッフェル塔>
アルマ橋からさらに西に向かうとエッフェル塔が見えてきます。 1889年、パリ万国博覧会の呼び物として建設されたこの塔は、当時はパリの景観を損なうとして パリジャンから嫌われていたそうです。それが、今ではすっかりパリの顔になっています。
でも日中見ると、東京タワーと同じ、ただの鉄の塔ですよね。
<クルーズガイド>
ポン=ヌフのクルーズ船以外は、音声案内のテープが流れるだけですが、このクルーズ船では ちゃんとガイドのお嬢さんが説明をしてくれます。案内はフランス語と英語の両方で行われるのですが、 どこから英語に変わったのかよくわからない、かなりフランス語に近い英語でした(笑)
サングラスを取ると、素敵な可愛いパリジェンヌでしたよ。
<イエナ橋>
エッフェル塔の足元にあるイエナ橋です。1806年のイエナ・アウエルシュタットの戦いの勝利を記念して「イエナ橋」 と名づけられました。ここにはナポレオンの象徴である鷲の浮き彫りがほどこされています。 1815年ナポレオンの失脚により取り外されましたが、この鷲は1852年に再び付け直されてました。
<バトー・ムーシュ>
大きなクルーズ船がすれ違っていきます。あの船にはバトー・ムーシュという名前が見えています。 セーヌ川クルーズ船としては一番歴史のある船です。 アルマ橋の近くに乗り場がありますが、乗り場まではちょっと不便なので僕は敬遠しました。
<アンヴァリッド橋>
アンヴァリッドは左岸にある歴史的建造物、国立廃兵院のことです。 この橋は1855年のパリ万博に合わせて作られる予定でしたが、完成したのは1856年です。 橋脚の下流側には「海上の勝利」を表す彫像が飾られています。
<セーヌ川クルーズ>
セーヌ川岸にはたくさんの歴史的建造物が立ち並んでいます。 歩くととても全部回ることができないけれど、クルーズ船なら約1時間で1度に楽しむことができます。 それと、ポン=ヌフをはじめとする歴史ある橋が多く架かっていて、橋の見物だけでも価値があります。 で、どのクルーズ船を選ぶかというと、やっぱり「前後のスケジュールに一番便利なもの」でしょうね。 さて、エッフェル塔を過ぎると船はUターンします。これからは東に向かい、順光になるので写真も撮りやすいです。 アンヴァリッド橋は折り返した後の写真です。
<アレクサンドル3世橋>
先ほど逆光の中で振り返って写したアレクサンドル3世橋です。 この橋は、1900年のパリ万国博覧会開催に際して、ロシア皇帝ニコライ2世が彼の父の名を冠しパリ市に寄贈したものです。 このアレクサンドル3世橋からアンヴァリッドを望む風景は、パリの風景の中でもトップクラスの美しさとのことです。
<飾り物>
この橋をよっく見ると、さまざまな飾り物がいたるところに付けられています。 黄金のペガサス、4隅の17mの高さの柱の上にはそれぞれ芸術、農業、闘争、戦争 を意味する女神像、そして橋の上には雰囲気のある街灯、橋本体の飾りつけ、パリで一番豪華な橋と言われています。
<中央部>
アレクサンドル3世橋のアーチの中央部には、写真のように金色の橋飾りがあり、美しい彫像も置かれています。 見ての通り、この橋は鉄でできていて橋脚がないので、橋の下から下流のほかの橋がよく見えます。
<コンコルド橋>
この橋の建築資材の一部に1789年7月14日に攻撃を受け破壊されたバスティーユ牢獄の石が使用されています。 橋の名前は時代の影響を受け、ルイ十六世橋(1791年)→革命橋(1792年)→コンコルド橋(1795年)→ルイ十六世橋(1814年) →コンコルド橋(1830年〜)と完成からわずか40年の間に何度も変わっています。
<一番の交通量>
橋の計画は1725年にルイ15世広場(現在のコンコルド広場)の整備とともに始まりました。 橋が架けられるまでは渡し舟で行き来していたようです。コンコルド広場とオルセー河岸を結んでおり、 パリの橋の中で最も交通量が多い橋となりました。そのため1930年から1932年にかけて拡幅工事が行われ、 橋の幅は2倍に広がりました。写真にはオベリスクが見えています。
<船上生活者>
セーヌ川沿いにはたくさんの船舶が停泊していて、これらは住居として使われたり船上レストランとして使われているとのことです。 船上生活者たちは貧しいから船上で生活してるというわけではなく、相当のお金持ちが、そのライフスタイルとして生活しているとのことです。
<ロワイヤル橋>
ロワイヤル橋とその向こうにルーブル美術館が見えます。 この橋は、ポンヌフ、マリー橋に次いでパリで3番目に古い橋です。 1632年、徴税官のバルビエが木製の有料橋を架けさせたのが最初ですが、 1685年から1689年にかけて、ルイ14世が石造アーチ橋を架け、ロワイヤル橋と名付けられました。
<カルーゼル橋>
カルーゼル橋は1834年に完成し、その当時はル−ブル橋とよばれていました。 一時期は近くの通りの名を取ってサンペール橋ともよばれていました。カルーゼルとは「騎馬パレード」という意味で、 1662年にルイ14世に王子が誕生した祝いにルーブル宮とチュイルリー宮の間の広場で騎馬パレードが行われたことから 「カルーゼル広場」という名が生まれました。写真に写っている建物はルーブル美術館です。
<路上駐車の事情>
パリの路上駐車は有名です。 道路の両端に前後の車との間隔は数センチの間隔で、ずらりと縦列駐車されています。 広い道路だけでなく、狭い路地でも同じです。 前後のスペースが全くないのに、どうやって出入りするのかというと、自分の車のバンパーを前の車に軽く当ててぐぐーっと押しのけ、 次はバックして後ろの車をググっと押しのける。これを繰り返して必要なスペースを空けて出入りするのです。 バンパーの正しい使い方をしているわけですね(笑) だから路上で縦列駐車するときは、サイドブレーキやパーキングブレーキはかけていません。 そういう訳で、パリで見かける車は凹んだり傷ついたりした小型車ばかりです。
<クルーズ船>
セーヌ川を行き来するいろいろなクルーズ船とすれ違います。 写真は僕たちが乗っているのと同じヴデット・デュ・ポン・ヌフのクルーズ船です。 僕たちが乗船した時間は満杯だったけど、あれは大分空いているようですね。船には各国の国旗が描かれています。
<ポン=ヌフ>
ポンヌフ(Pont Neuf)はフランス語で「新しい橋」の意味ですが、フランス、パリで現存する最古の橋です。 Pontは橋の意味、NeufはNewと同じ語源でしょうか。この橋はシテ島の南側に架かっているポン=ヌフです。
<ポン=ヌフ>
こちらの橋はシテ島の北側に架かっているポン=ヌフです。 どうしてこの橋が「新橋」と呼ばれているのかと言うと、それまでセーヌ川に掛けられていた橋は木造だったのが、 初めて石で造られた橋だからだそうです。写真は、どちらも西側から東に向かっている時のものです。
<ポン=ヌフの恋人>
この橋が主題になっている「ポン=ヌフの恋人」という映画があります。 パリを流れるセーヌ川に架かるフランス最古の橋、ポンヌフ橋のたもとをねぐらにするホームレスの青年アレックス(ドニ・ラヴァン)と、 失明寸前の絶望から放浪の末にポンヌフ橋に辿りついた絵描きの女性ミシェル(ジュリエット・ビノシュ)のラブストーリーで、 1990年頃のフランス社会を描いています。
<丈夫で長持ち>
ポン=ヌフの写真ばかりですみません。 フランスでは、「Se porter comme le Pont-Neuf」「ポンヌフのようだ」という慣用句があり 「丈夫で長持ち」という意味で使われるそうです。 このように、ヨーロッパではお金には代えられない古いものを大切に残していますね。
<プチ・ポン>
左手シテ島にパリ警視庁とその向こうにノ−トルダム大聖堂が見えています。 ここに架かっている橋は「プチ・ポン」、パリがローマ帝国の支配下にあったころシテ島を挟んで大橋(グラン・ポン)と 小橋(プチ・ポン)が架けられていたそうで、この橋は古代の名前を引き継いだようです。
<トゥールネル橋>
橋の名前は、かつてこの辺りに要塞としての小塔(トゥールネル)が建てられていたことに由来しています。 元の橋が1910年の増水によって大きな被害を受けたので、新しい橋を建設することが必要と判断され、架け替え工事が進められました。 完成は1928年です。
<守護女神>
橋上の塔(写真右手に見えている)はロケットの像ではありません。この塔の先には、彫刻家ポール・ランドウスキーの手による パリ市の守護女神サン・ジュヌヴィエーヴの像が飾られているのです。この橋はセーヌ左岸とシテ島の東にある中州サン=ルイ島を結んでいます。
<オーステルリッツ橋>
サン・ルイ島を過ぎてさらに東に進むと、オーステルリッツ橋が見えてきます。 元の橋は1804年に鉄で作られましたが、1854年に従来の橋脚をそのまま使いながら、鋳鉄製アーチは石造りのアーチに架け替えられ 作り直されました。
<Uターン>
クルーズ船はオーステルリッツ橋のあたりでUターンして、シテ島に戻ります。 またまた西に向かうので再び逆光、写真では風景もシルエットになってしまうため、振り向きながら撮影することにします。
<コンシェルジュリ>
シテ島に建つこの建物はコンシェルジュリ、13世紀の終わりから14世紀の始めにかけて王宮として建設されました。 16世紀以降、ここは監獄として利用されるようになり、そして 1793〜1795年には革命裁判所となり、フランス革命の指導者で、国王ルイ16世の死刑に賛成したダントンや ロベスピエールたちも、後にここに閉じ込められ、やがてギロチンで処刑されました。
<コンシェルジュリ>
ここからは2500人以上もの人がコンコルド広場の断頭台へ送られ処刑されたそうです。 フランス王妃マリー・アントワネットも死刑になるまでの約2ヶ月間をここで過ごしました。 内部には実際に彼女が過ごした部屋ではありませんが、独房の様子が再現されているそうです。
<猫ですか?>
さて、クルーズ船はポン=ヌフの船着場に戻ってきました。 ここでポン=ヌフの橋脚をじっと見ていると、なんだか鼻先の黒い猫の顔に見えてきました。どうでしょうか?(笑)
<船着場>
ここがクルーズ船の発着場です。シテ島の西の端ポン=ヌフの下に位置します。 すでに次のクルーズ船が出発しようとしていますが、あれは1階建ての船ですね、1階だと眺めはイマイチではないかな?
<お面>
ポン=ヌフの橋ゲタをさらに見ていると、なんだか変な顔の面が彫られて並んでいることに気がつきます。 ただの飾りでしょうか?それぞれ顔が違っていて見ていて飽きません。
<レストラン>
クルーズを終えると7時30分、お腹がすいたので近くのレストランに駆け込みました。 レストランの入り口にフランス語と英語でメニューの看板が掛けられていました。
<夕 食>
このレストランはポン=ヌフのちょうど北向かいにあるのですぐにわかります。 僕はヒレステーキとサラダ、奥様はピザを注文しました。美味しかったですが、サラダの量が多かった〜
<夜景を求めて>
食事を終えると外は真っ暗、絵になる夜景を求めてこの周辺を歩くことにしました。 これは、ライトアップされたシャンジュ橋とコンシェルジュリ。
<ポン=ヌフ>
ついでにライトアップされたポン=ヌフも撮ってみましたが、これだけでは絵になりませんね。 もっとアップにすればよかったのかもしれません。ここからさらに西に向かって歩いていきます。
<フランス学士院>
ポン・デザールの橋までやってくると、橋の上には学生たちでしょうか、橋を歩けないほどの集団で宴会を開いています。 どうやらこの橋での夜の日課になっているようですね。その若者に混じって(避けて)撮った「フランス学士院」です。
<ロマンティックな空間>
ポン・デザールを引き返し、北に向かうとすぐにルーブル宮殿のクール・カレ(方形宮)があります。 その四角い中庭に入ると、なんと四方の宮殿がライトアップされ、一瞬絶句するくらいとても美しくロマンティックな空間になっていました。
<ルーブル宮殿>
これもそのライトアップされたルーブルの一面です。 観光客でしょうか?この素敵な空間を楽しんでいるカップルがチラホラと歩いています。 中央に噴水があったので、映りこむかと思ったのですが、波があって無理でした。
<ルーブル美術館>
昼に同じ場所から写真を撮りました。夜になるとピラミッドも美術館もライトアップされて 全く違った表情を見せてくれていました。昼の喧騒がうそのように人通りもまばらでしたよ。
<地下鉄>
ルーブル美術館の傍にある地下鉄の駅「ミュゼ・デュ・ルーブル」駅です。 日本と同じように、自動改札機があって切符を通して入場するようになっています。 何回も乗るなら、ヨーロッパの他の都市のようにお得なパスもあります。
<エッフェル塔>
何のために地下鉄に乗ったかといえば、これを見るためです。 エッフェル塔のライトアップ、ちょうどイルミネーションが始まったところで、キラキラ輝いていました。 でも、写真ではわからないですよね、次の写真と比べてみてください。
<最後の夜景>
ここは今朝、エッフェル塔を撮影したシャイヨー宮のテラスです。 ライトアップされた塔を見るために、たくさんの人で賑わっていました。 もうすぐ夜の11時、地下鉄の時間が気になり始める時間ですが、大勢の人が浮かれ騒いでいました。
<最後の夜>
11時30分、地下鉄を乗り継いでホテルに帰ってきました。 やっぱり1日ではパリの半分も見て回ることができませんでしたが、今回はこれで満足しています。 明日は暑い日本に向けて出発、夢から現実に引き戻されてしまいます。
<パリには、またいつか>
今年の旅行もこれで終わり。後ろ髪を引かれる思いは毎年同じです。 来年はどこを旅するか、もう考え始めています(笑) ヨーロッパは古い歴史を感じさせる都市が多く、どこに行っても独自の文化が花開き、素晴らしい建物と 美味しい料理があります。違う文化の人々との束の間の交流も楽しい思い出ですね。 京都と姉妹都市になって52年のパリ、いつかまた来る機会があると思います。
 最後まで見ていただき、ありがとうございました。
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