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<ボヘミアの古城>
神聖ローマ帝国の都として、また、中欧ヨーロッパの貿易や交通の中心として繁栄したチェコには、 数多くの古城が点在しています。有名なものをいくつか挙げると、まず「コノピシュチェ城」1914年に サラエボで射殺されたハプスブルク家皇太子フランツ・フェルディナントと、その皇太子妃ソフィが住んだ 城です。次に「チェスキー・シュテンベルク城」13世紀の中頃に建てられた、ボヘミアの現存する最古の 城の一つです。そして「カレルシュテイン城」1348年、神聖ローマ帝国の財宝の保管を目的として 建設された城です。そのほかにもたくさんの古城が残されており、機会があればいつか訪ね歩いてみたいものです。
<メルニック城>
さて、チェスキークルムロフからプラハのホテルに到着。昨晩はホテルで夕食を取り、今日は朝から ボヘミアの古城に連れて行ってもらうことになっています。 事前に、どこの古城かは知らされていなかったのですが、当日になってボクたちが案内してもらうのは 「メルニック城」と知らされました。ロプコヴィッツ家が所有していたとのこと ですが、今もその子孫が城を所有し、住んでいるらしいです。写真は、メルニック城のある町の風景。
<教 会>
写真は、城のそばにある歴史を感じさせる教会です。 さて、チェコのガイドさんは、トマーシュさんという名前の男性。 今は日本企業の通訳をしているとのことですが、日本大使館でも通訳をしていたという、 たいへん日本語の上手な方です。
<教 会>
トマーシュさんは、日本人観光客の案内を時間の許す限り毎週のようにやられているようです。 すごく丁寧な方で、ボクたちの質問にも丁寧に答えてくれました。 写真は、教会入口。いい雰囲気だけど、残念ながら中の見学はできませんでした〜
<ヴルタヴァ川>
丘の上からはヴルタヴァ川の流れが見えます。 交響詩「わが祖国」はベドルジハ・スメタナの代表的な作品ですが、ヴルタヴァ(モルダウ)は 一連の交響詩群の中で最も知られた作品ですね。ヴルタヴァ川(モルダウ川)の、 源流近くからプラハへと流れ込むまでの様子が描かれている作品です。
<クイズ10>
昨晩、プラハのホテル「トップ ホテル プラハ」で夕食を取りました。 ビュッフェスタイルだったので、食べたいものだけ適当に取ってきたのですが、 ボクたちは、ほとんど食べる事ができませんでした。それは何故でしょうか? 1.食べれないほど塩辛かったから
2.ある種の香料がきつくて食べる事ができなかった
3.ホテルに到着したのが遅くて、レストランが閉まってしまった
4.疲れていて食べる元気が出なかった
5.レストランが混雑してて、落ち着かなかった
答えは、1.食べれないほど辛かった、です。
<合流地点>
ヴルタヴァ川は、ドイツ・チェコ国境に位置するエルツ山地の、チェコ側にあたるチェルナー・ホラ山付近や、 ドイツ側のバイエルンの森に発する複数の川を源流としています。 南から北へと流れるこの川は、エルベ川に合流します。 この丘からは、ヴルタヴァ川とエルベ川の合流地点を見ることが出来ます。
<コスプレ集団>
城に向かう途中、変な格好をした若者達に出会いました。 これからどこかで演劇でも上演するのでしょうか? つかまえて、代わるがわるに記念撮影をさせてもらいました(笑) 写っている女性2人は、ツアーで一緒だった方です。
<メルニック城>
メルニック城の中庭に入ってきました。 古城といえば、石を積み上げてできた堅牢な城をイメージしますが、違います。 でっかい普通の建物といった感じです。
<スグラフィット>
チェスキークルムロフ城の壁面と同じように、ここの壁面もスグラフィットで描かれています。 建築技法で漆喰を塗って、それを削り取る技法・・・だと思います。多分(^^ゞ
<中 庭>
建物の中から中庭を見下ろすと、車が2台あります。 トマーシュさんによると、城の持ち主とその奥さんが出かけていないので車が2台あるのだそうです。 城主は前の奥さんとは別れて、今は若い2番目の奥さんとのこと・・・内緒話です(笑)
<部屋の中>
実は、建物の中は撮影禁止なのだそうですが、毎週観光客を案内しているトマーシュさんの顔で 少しだけなら撮影してもかまわないと言ってくれたそうです。ん〜ラッキー♪ 手持ちカメラで撮影したので、暗くてすみません。
<子ども部屋>
部屋の中には、小さなベッド、小さな椅子や食器が並べられていました。 木の暖かさが感じられる子ども部屋、いい感じですね。
<ダイニングルーム>
この町は、カレル4世がこの街を庇護したことから、皇帝の町と知られるようになりました。 カレル4世の最後の后は、このお城に住まい、ゴチック様式の礼拝堂を所有していたそうです。
<シュヴァルツェンベルク>
トマーシュさんの説明によると、結婚式や会合などでホールの貸し出し等も行っているようです。 室内は手入れが行き届き、什器類も充実しています。
<武器や防具>
写真に写っている防具や武器はほんの一部です。 中世に使われた鎧兜、武器がたくさん飾られていました。
<剣>
写真の右手に見える曲がった剣は、ヨーロッパのものではなく、 トルコ軍が使った剣だと思われます。ヨーロッパの剣はまっすぐですよね。
<ホール>
ここが、一般に貸し出しもできるというホールです。 また、このお城には、14世紀から続いていると言うワインセラーがあるそうです。 有料ですが、テイスティングが出来るとのこと。
<クイズ11>
メルニック城の中には色々なものが飾られています。 各部屋を見て回っていた時、廊下や階段にあるものがたくさん飾られていました。 それを見てみんなビックリしました。それは何でしょうか? 右下の選択肢から一つ選んでください。
<肖像画>
ホールの反対側には、城主とその奥様の肖像画が飾られていました。 でも、何故か壁の枠よりもかなり小さい肖像が掛けられていました。
<テーブルセット>
この美しいテーブルセットの部屋も借りることができるそうです。 親しい人たちだけの小規模な結婚披露宴などに使うのでしょうか。
<選択肢>
1.有名な画家が描いた絵画がたくさん飾られていた
2.狩り好きの城主が集めたたくさんの鹿の角が飾られていた
3.たくさんの蝶のコレクションが飾られていた
4.城主は音楽好きで、いろいろな楽器が飾られていた
5.様々な種類のマリオネットがたくさん飾られていた
答えは、2.鹿の角でした。
<売 店>
メルニック城の一角に、売店がありアクセサリーや土産物品を売っていました。 綺麗なブレスレットやネックレスがあったのですが、高そう〜・・と思って値段表を見たら、 な・な・なんと!メッチャ安い!ボクの奥様は即、購入していました(笑)
<結婚式>
先に、この城のホールは結婚式などで借りることができると書きましたが、 なんというタイミング!本当に結婚式の場面に遭遇しました。 記念に写真を撮らせていただきました。この子どもは新婦さんの子でしょうか?
<町並み>
チェコの町はどこも石畳で、とてもいい感じです。 この町も古い建物が並び、綺麗な町並みでした。
<町並み2>
空が明るくて、思ったより暗い写真になってしまいました。 車は路上に止めるしかないのでしょうか?駐車場を作ればもっと町が美しくなると思うのですが・・
<昼 食>
メルニック城見学の後はプラハに戻り、いよいよプラハ旧市街観光です。 ここは昼食を取ったレストランの入口。でも、何を食べたか忘れてしまいました〜(^^;
<プラハ城>
プラハのヴルタヴァ河畔に北方のスラブ民族が集落を造ったのが6世紀後半とのこと。 プラハのシンボル、プラハ城は、9世紀半ばに城の建築が始まり、 14世紀のカレル4世の時代に現在の偉容がほぼ整えられたと言われています。
<聖ヴィート大聖堂>
大聖堂がプラハ城の中にあり、遠くからも見える高くそびえるプラハ城の尖塔は、この大聖堂のもの。 砂岩でできているので、埃を吸収しやすく全体が黒ずんでいます。
聖ヴィートは3〜4世紀にディオクレティアヌス帝によって行われたキリスト教徒大迫害の犠牲となった シチリア出身の聖人だそうです。ヴァーツラフ王がその遺骨の一部をドイツ王ハインリッヒ一世から譲り受け、 930年に最初の円形聖堂(ロトゥンダ)をこの地に建てたとのこと。
<ガーゴイル>
大聖堂外壁のあちらこちらの角からガーゴイルが口を開けて飛び出していますが, これは雨水を流すための雨樋で,雨が降るとガーゴイルの口から雨水が流れ出します。魔物を見ると魔物が逃げることから, ゴシック教会ではよく守り神のようにつけられているとのことです。 よく恐怖映画の冒頭のシーンなどで、こういう像がクローズアップされることがありますよね。
<入 口>
入口から30mほど大聖堂に入る人の列が延々と続いていました。 でも、サクサク進むので入場するまで10分ほどでした。ここでもガイドを務めてくれたのは、トマーシュさん。 さすが、大聖堂のこともよっくご存知で、わかりやすく楽しく話していただきました。
<簡単な歴史>
建築が完成したのは20世紀に入ってからの1929年。 926年にヴァーツラフが建てた教会があった場所に,1344年,ルクセンブルク家のカレル1世 (1316-1378,ボヘミア王在位1346-1378)が建築を命じ,以来,戦争や資金不足で何度も中断し, 600年もの年月をかけて建て続けられた教会です。
<後 陣>
中に入ってすぐに目を引くのがこの後陣の光景。 後ろに3連のステンドグラスを施した美しい造りです。 1929年、聖ヴァーツラフの殉教1000年の年に完成したこの大聖堂は、 M.ダラスが着手した内陣、P.パーラーが手がけたゴシック様式の聖堂、B.ウォルミュートが設置した鐘楼の屋根、 K.ヒルベルトが完成させた正面扉など、数多くの建築家が携わっているとのこと。
<ステンドグラス>
後陣を飾るステンドグラスはマックス・ズヴァビンスキー作の「最後の審判」。 1934年に作られたものだそうで、なんと4万枚を越えるガラス片が使われているのだそうです。 明り取りの窓からの光と調和して、見事な美しさです。
<内 部>
観光客の数はものすごく多いですが、内部がかなり広いので混み合った感じはありません。 ゆっくりと見て回る事が出来ます。・・・時間さえあれば(笑)
内陣を飾るたくさんのステンドグラスや彫像は素晴らしいものですが、暗いので手持ちカメラでの 撮影は厳しかったです。
<クイズ12>
さて、下の写真はミュシャ作のステンドグラスですが、その下部中央に文字が入れられています。 ここには何が書かれているのでしょうか?選択肢から一つ選んでください。
1.ミュシャ本人の簡単なコメント
2.教会からミュシャに対する感謝の言葉
3.ある会社の広告
4.ステンドグラスの絵の説明
5.使われているガラス素材の説明
答えは、3.広告でした。
<ミュシャ>
チェコが誇る画家ムハ(ミュシャ)による『聖キリルと聖メトディウス』が最も有名なステンドグラスです。 約4万枚のガラス片を使用しています。 聖キュリロスと聖メトデウスは兄弟で聖書をグラゴル文字(キリル=キュリロスに因んでいる・文字の前身)を用いて スラブ語に翻訳しキリスト教を広めたとされており、スラブ語圏では篤く信仰されているとのこと。
<ミュシャ>
アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha、1860年7月24日 - 1939年7月14日)は、 アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナーです。 中央に少年の姿で描かれている聖ヴァツラフのモデルはミュシャの息子イジーだそうです。
周囲をブルーを基調にし、内側に向けて赤と黄色のグラデーションを施した色彩が見る者を惹きつけます。
<バラの模様>
正面入口扉の上の方には1925年から1927年にかけて造られたバラ窓があります。 そのバラ窓のステンドグラスは、2万6740枚のガラス片を使用しているらしいです。 バラ絵は『天地創造』の日々を1日ごとに表わしているとのことですが、どうなっているのかよく分かりません(笑)
<ヤン・ネポムツキー>
主祭壇の右脇には18世紀に造られた聖ヤン・ネポムツキーの墓碑があります。 この銀色の彫像がネポムツキーです。 この彫像に使われた銀の量は2t!暗くて手持ちカメラではブレブレになってしまいました。 この墓碑の向かいにはネポムツキー礼拝堂があります。
<宗教的意味>
しかし、当時の権力と一体化して発展してきた教会が持つ聖像や絵画は、 キリスト教としての純粋な信仰心とは違うように思われます。 信仰が宗教として広められる際には仕方のない事かもしれませんが・・
まぁとにかく、そういう議論は別の場所に譲るとして、 こうした聖像や絵画の持つ芸術品としての価値は計り知れないものがありますね。
<レリーフ>
中世のプラハ市街を彫ったレリーフでしょうか、こういうものも飾ってありました。 トマーシュさんが説明をしてくれたのですが、忘れてしまいました〜(^^; 他にもたくさんの彫像や礼拝堂を撮ってきたのですが、暗かったのでここでは省略します。
<ステンドグラス>
まぁ、とにかくステンドグラスは、いっぱいあります。 ステンドグラス一枚づつ撮っても、その大きさや内部全体の美しさを表現する事はできませんが、 とりあえず見てください。
<ステンドグラス>
一枚一枚、全然違う絵で表現されているので、 それぞれ違う画家の手によるものだとわかります。
<撮影条件>
暗い中でステンドグラスの色を出そうとすると、周りが黒くなります。 周りの雰囲気を出そうとすると、ステンドグラスの色が消えてしまいます。 中間を選ぶと、中途半端になるので・・・結論は、外からの光が少ないと難しいということですね(笑)
<外 観>
聖ヴィート大聖堂は奥行き124m、幅60mで高さは96.6m。近くではカメラに収まりきらないので、 プラハ城の第二中庭の端から写してみました。写っていない大聖堂の右半分は 改修工事中だったので、構図から外しました(笑)半逆光で建物の姿が暗くなりましたが、雰囲気だけ。(^^ゞ
⇒   7.プラハT



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