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<ウィーン旅行>
ウィーンを観光する時、なんらかの目的を持っていた方がいいように思います。 例えば、「ハプスブルクゆかりの地を訪ねる」という目的だと、シェーンブルン宮殿、王宮、 シュテファン寺院、アウグスティナー教会などを中心に回ることができます。
また、「音楽の都を訪ねる」という目的だと、オペラ座、楽友協会、コンツェルトハウス、ブルク劇場などを中心に観光し、 有名な音楽家の足跡を訪ねることもできます。
さらに、「ウィーンの美術館を巡る」のであれば、ベルヴェデーレ宮殿、美術史博物館、リヒテンシュタイン美術館 などを中心に素晴らしいコレクションを見て回る事ができます。
ボクが見て回っているのはキリスト教会です。教会の建築やステンドグラス、彫刻などそのものが芸術品でもあり、 キリスト教会がその国の歴史を凝縮しているように感じられるからです。
<シュテファン寺院>
ペーター教会をじっくり見て回った後、地下鉄に乗るため再度シテファン寺院まで戻ってきました。 この寺院は昨年入場したので、今回は通り過ぎるだけ〜。(^^ゞ次の目的はカールスプラッツ駅まで戻り、 3時からのオペラ座見学ツアーに参加することです。昨年、時間に間に合わなくて見逃したリベンジ(笑)
さて、カールスプラッツ駅は、地下鉄U1、U2、U4の交わる駅なので、どこに行くにも観光の拠点となります。 ウィーン2回の旅行で、少なくとも10回はこの駅で乗り換えています。近くにフレスコ画の美しいカールス教会 があるのは昨年紹介した通り。
写真は、シュテファン広場の様子です。
<モーツァルト>
3時に遅れてはいけないと思い、オペラ座に到着したのは2時。チケット売り場も開いていません。 ちょっと早すぎたようです(笑)で、オペラ座の裏にあるモーツァルトというカフェで時間をつぶしました。 映画「第三の男」にも登場したカフェで、モーツァルト・トルテが有名で、絶えず満員。(^^;
<オペラ座>
今年もオペラ座の周りには、かつらをつけて中世貴族のかっこうをしたアルバイトの青年達が 夜のコンサートチケットを売りつけようと声を掛けています。 片言の日本語も上手だし、日本のギャグも良く知っています(笑) チケット売り場が開くのは15分前、待ちました〜
<日本語のガイド>
最初、ツアーに参加していたのはボクと奥様だけでしたが、3時になるまでに ゾロゾロとどこからか日本人観光客が集まってきます。ある団体旅行の方たちでしょうか、7人くらい 集団で参加している方たちも含めて20人がツアーに参加しました。
<クイズ6>
オペラ座のガイドツアーは、日本語以外にもたくさんの言語で行われています。 下の選択肢の中で実際に行われていない言語はどれでしょうか?
1.ドイツ語 2.イタリア語
3.英語 4.中国語 5.スペイン語
答えは、4.中国語でした。
<桟敷席>
音楽の都ウィーンを象徴する、ウィーン国立オペラ座。パリ、ミラノと並ぶ三大歌劇場です。
1869年、宮廷劇場としてモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」で幕を開けました。その後、 1918年にオペラ座と改名。
<フィデリオ>
第二次世界大戦で全焼しましたが、1955年再建。その時のこけら落しはベートーベンの「フィデリオ」 をカール・ベームが指揮しました。 舞台を取り巻く桟敷席など客席数は1642。演目や座席の種類によって料金はさまざまのようです。
<ガイド>
日本語ガイドは、オーストリアのイケメン青年。 初めはオペラ座関係の人と思っていたのですが、大学で経済学を学んでいる学生アルバイトでした。 日本語の勉強もしているとか・・わかりやすく楽しいガイドでしたよ。 写真の部屋は演奏家のオーディションが行われる部屋だとか。
<VIPルーム>
ここは、重要な記者会見の行われるVIPルームですが、一般人もお金を積めば使わせてもらえるらしいです(笑) 小澤征爾が音楽監督に就任した際の記者会見もここで行われたとのこと。 モーツァルトをはじめ、たくさんの音楽家の胸像が飾られているのが見えます。
<マーラー>
1897年から1907年まで音楽監督だったマーラーは、このオペラ座に住んでいました。 彼の時代のオペラ座は、まだ貴族達のサロンのような所だったようです。 ロダン作 マーラーの胸像が飾られていました。
<階段ホール>
写真は階段ホール、天井が吹き抜けになっています。 実は、写真には撮っていませんが、このガイドツアーでは広〜い舞台裏や装置を見せてくれます。 舞台裏は滅多に見ることが出来ないものですね。
<国会議事堂>
オペラ座の見学後、トラムに乗って国会議事堂までやってきました。 特に見たかったわけではないのですが、午前中の続きです(笑) 市庁舎のすぐ南隣に隣接している、古代ギリシャ風の建物。 1883年に建てられたそうです。
<女神アテナ>
パラス・アテナの泉と呼ばれる正面の噴水には、英知の女神アテナの彫像が立っています。 国会議事堂でも、内部の見学ツアーが行われているとのこと。もちろん有料です。
<ミノリーテン教会>
国会議事堂から歩いて7、8分のところ、ブルク劇場の裏に建っているミノリーテン教会を訪れました。 写真は、教会の外部にある回廊、とてもいい雰囲気です。
<八角形の鐘楼>
ミノリーテン教会の横から見上げながら撮ってみました。 八角形の鐘楼は、教会としては異色のように思われます。 外壁上部に、複雑な模様の窓のように見えるのは、ステンドグラスです。 ステンドグラスは外から見ると、このような感じになりますね。
<礼拝堂>
ペーター教会を見てきた後だったので、礼拝堂が簡素に見えました(笑) ここも観光ルートから外れているせいか、中にはほとんど人がいませんでした。ラッキー♪
<レプリカ>
正面に向かって左側の大きなモザイク画はあの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの『最期の晩餐』のコピーで、 19世紀初めにジャコモ・ラファエッリ (Jacomo Raffaelli) によって制作されたそうです。
<フランチェスコ修道会>
この教会は1224年にバーベンベルク家のレオポルド六世から招聘された フランチェスコ会修道士たちによって、1250年頃修道院と共に建設されました。 教会の名前である『ミノリーテン』とはフランチェスコ会修道士を意味している。 紆余曲折を重ねた後、1957年よりこの教会は再びフランチェスコ修道会によって運営されているそうです。
この教会は、天井が非常に高く、広々とした印象を受けます。 しかしそれに対して内部の装飾が少なくバランスが悪いので何か物足りない感じがします。
<マリアの雪>
教会の大祭壇の絵は18世紀後半に描かれたローマの丘にあるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 (St. Maria Maggiore)の聖画『マリアの雪』のコピーです。 今日ではこの絵が、失われた聖なる十字架像の代わりに第二の聖像として扱われ、 現在の教会の別名『マリアの雪』の由来ともなっています。
<ステンドグラス>
『マリアの雪』という絵の題からすると、雪の中に聖母マリアが立っているかのような情景を思い浮かべますが、 これは雪と全く関係のない絵です。じゃあ、なぜマリアの雪なのでしょうか? 物語とは関係ありませんが・・・この教会のステンドグラスも美しいです。
<マリア像>
その昔イタリアのローマに裕福な夫婦がいました。この夫婦には財産を残すべき子供がいなかったため、 聖母マリアに彼らの財産を何かいい目的のために使えないかと伺いをたてました。 するとローマ中で雪の残っている場所に教会を建てるように、との神託が下ったそうです。
<マリア像>
夏なのに、雪が残っている場所などありません。それでも夫婦は雪の残っている場所を探します。 するとローマの丘の一つにまだ雪が積もっており、夫婦はこの場所に教会を建てたそうです。 以後、この教会はその大祭壇の絵と共に『マリアの雪』と呼ばれるようになったとのことです。
<東 側>
この教会で、ボクが一番気に入ったものは、←のマリア像、いい雰囲気です。 で、こちらの写真は、教会の東側、つまり一番奥にある礼拝堂です。近代になって付け足された壁で区画された礼拝堂。 垂直に立ち上がるステンドグラスが美しく輝いていました。
<入 口>
写真はミノリーテン教会の入口。入口中央に飾られているのは幼いキリストを抱いたマリア像です。 カトリック教会では、神の母、ということでマリアも信仰の対象にされているのでしょうか。 それと、キリストの使途たちも聖人とされ信仰の対象として含められているような気がします。 さらに言えば、キリスト像や絵画(偶像)なども「拝む」対象になっているのでは?と思います。
<正面から>
いずれにせよ、宗教そのものは国の政策と結びつく事が多く、信仰が、人間(とりわけ為政者)の思惑を排除した純粋な形で 生き続けることは困難だろうと思います。
良し悪しは別として、その宗教が素晴らしい芸術を生み出してきた事は事実で、そのこと自体は 賞賛できることですね。
正面から撮りましたが、大きすぎて入りきりませんでした〜(^^;
<ミヒャエル教会>
次に目指したのは、この尖塔が美しいミヒャエル教会です。 王宮のミヒャエル門のすぐ傍にあるので、王宮観光のついでに寄ればいいのですが、 昨年、見落としていたためリベンジです(笑)
ミノリーテン教会から路地を抜けると、写真のような尖塔が見えてきます。 名前の通り、この教会は聖ミヒャエル (hl. Michael) の名のもとに建てられた教会です。
<正 面>
ミヒャエル教会の前から右手を見ると、王宮のミヒャエル門が見えます。 昨年同様、観光馬車がずらっと並び、その間をたくさんの観光客が行き来しています。 でも、今回は時間がないので王宮には入りません。
<建 設>
この教会は13世紀から18世紀までの間に建設されたため、部分部分によって建築様式がバラバラです。 主なものを挙げてみると、上部に帯状装飾をほどこされた壁はロマネスク様式、内部はゴシック様式、 正面玄関張り出し部分がバロック様式、そしてその下の扉を囲むようにして立っている神殿風の入り口は 古典主義様式となっています。
<入場料>
この教会に入場する時、日本の寺と同じように拝観料を取られました〜。他の教会はフリーだったのですが・・ でも、日本の拝観料に慣れている身としては、抵抗はありませんでした(笑) ←『天使堕落』の天使像を含む教会の正面玄関上部の張り出し部分は18世紀前半に制作され、 教会正面そのものは、先に書いたように18世紀終わり頃に古典主義様式で作られました。
<大祭壇>
主な芸術品は、正面大祭壇に飾ってある聖セバスティアンと聖ロッフスの彫像、 その手前の凱旋アーチの左右にかけられた『聖霊降誕の奇跡』、『14救難聖人』などがあります。 現在の大祭壇の絵はマリア像で、『道を示す者』という題がついています。
<納骨堂>
ボクたちは入りませんでしたが、この教会の地下には納骨堂があり、 1510年から1783年にヨーゼフ二世がウィーン市内での埋葬を禁じるまで、この納骨堂には棺が納められ続けました。 ここに埋葬された亡骸は全部で4000体にものぼると言われています。
<芸術品>
教会やそこに飾られている絵画、彫刻が芸術品で、美術館や博物館に収められている芸術品よりも臨場感があります。 だから、ヨーロッパの教会を見て回るのは、京都の国宝級の寺社を見て回るのと同じでとても楽しいです。
<オランジェリー>
ミヒャエル教会から一度ホテルに戻り、夕食を取ってからシェーンブルン宮殿に向かいます。 ツアーの中に組み込まれた今夜の予定は、宮殿のオランジェリーでのコンサートです。 観光客相手のもので、気軽にコンサートを楽しむことができます。
<人人人>
コンサートにやってきた人の数は、800人くらいです。簡単なコンサートとはいうものの、 一般にチケットを購入すると6000円以上はしますが、これは場所代でしょうか?(笑) コンサートはモーツァルトやヨハン・シュトラウスの曲が中心でしたが、ボクは寝てしまっていました。 オランジェリーには空調がなく、人の熱気ですごく暑かったため、頭が朦朧としたのです。 背広とネクタイに着替えた方、お疲れ様でした(笑)
<クイズ7>
オペラ座の前で、ボクたちにコンサートのチケットを売りにきたウィーンの青年が、 あるギャグを披露してくれたので、ボクは爆笑してしまいました。それは、次のどれでしょうか?
1.「今夜のコンサートはショッキン・グー」と言って親指を立てた。
2.ソーリー、と言うと「そんなのかんけーねー」と腕を振った。
3.「今日はチョー気持ちいい!」と大声で叫んだ。
4.「イチ、ニ、サーン」と、サンのところで変な顔をして変な声を出した。
5.ソーリーと言ったら、「オーベイか!」と怒鳴った。
答えは、2.そんなのかんけーねー、でした(笑)
⇒   5.チェスキークルムロフ



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