(1)出発:デルンシュタイン〜ドナウ河  (2)メルク修道院  (3)ザルツブルクT  (4)ザルツブルクU  
 (5)ザルツカンマーグート  (6)グラーツ (7)ウィーンT  (8)ウィーンU
<ザルツブルク>
1997 年 1 月 1 日、ザルツブルク旧市街が世界遺産リストに登録されました。 でも、世界遺産であることがザルツブルクの魅力なのではなく、ここがモーツァルト生誕の地であり、 そして、何よりも映画サウンド・オブ・ミュージックの舞台になった町であることが最高に魅力的です。 映画が撮影された当時の建物や景色が今なお、そのままの姿で残っているのです。 マリアの足跡をたずね歩き、あの素晴らしい映画の光景と重ね合わせると、 まるでマリアと子ども達が街角から飛び出してきそうな錯覚にとらわれます。 多くの観光客が、同じように考えているのでしょうか?ザルツブルクには、サウンドオブミュージックツアーというものもあります。 でも、ボクたちは、それには参加しませんでした。旧市街はこじんまりとしているので、 その中だけを観光するなら歩いて回る事ができるからです。
ザルツブルクは、 町の中央を流れるザルツァッハ川を境に、北が新市街、南が旧市街に分れ、見所はたいてい旧市街に集中しています。
  メルクから一気にザルツブルクまでやってきました。ホテルは新市街にある「Mercure Salzburg City」 近くにスーパーもあって、バス停からも近く、静かないいところです。 夕食はホテルで肉料理。オーストリアの食事は美味しくて日本人の口に合います。 ここでラドラーというレモネード割りのビールを飲んでみたのですが、これがけっこういける。 ビールの苦味と、グレープフルーツの香りが調和して、とても美味しかったです。 その後、しばらく病み付きになって、昼食も夕食もこれを飲んでいました(笑)
さて、ザルツブルクについては、綿密な下調べをして来ました。 ホテルの近くにカプチーナベルクという小高い丘があって、そこから旧市街を見渡す事ができることも調査済み♪ ということで、早朝からカプチーナベルクを目指して出歩きました。これは、ホテルからシュターツ 橋に続く、朝のリンツァー通り。
<Linzer Gasse>
 リンツァー・ガッセ。Gasseというのは、ドイツ語で「通り」のことです。 左手に見える小高い山、カプチーナベルクに沿って走っている通りで、早朝でも人通りが多いです。 地図を片手に、カプチーナベルクへの登り道に向かって歩きました。 目の前に見えている教会は「サンクト・セバスティアンス教会」、ザルツブルクに来て最初に見た教会です。
<ザルツァッハ川>
ザルツァッハ川にかかるシュターツ橋までやってきました。 この近くにカプチーナベルクに登る道があるはず・・です。 しばらく川に沿って走る大通りを歩きましたが、わかりません〜。
川向こう、旧市街の方向を見上げると、ホーエンザルツブルク城がしっかり見えていました。
<迷子?>
う〜ん、小道に入ってウロウロ、大通りに出てウロウロ。 目の前に見えるこの山に続く道は、確かにこの辺りにあるはずなのですが、わかりません。 地図が間違っているはずはないし・・写真はザルツァッハ川北岸より、ザルツブルク城を見た図。
<発見♪>
たまたま玄関の掃除に出てきた住人の方に、「カプチーナベルクに登る道を教えていただけませんか?」と たずねました。とても親切な方で「カプチーナベルクはこの後ろの山全体のことで、この道を・・・。」と、 詳しい解説つきで教えてくれました♪
<カプチーナ教会>
迷ったときは、人に聞く事です(笑)
山に通じる道は、かなりわかりにくく、川に沿った通りより一筋山側の通りに入ります。 そこを50m行ったところ左手にアーチ状の小さな入り口があり、キリスト像が立っている、 そこが山への登り口なのです。地図ではかなり距離があるように見えたのですが、 実際は、こんな近くだったのです。
この写真は、登り階段の途中にあるカプチーナ教会。こじんまりとした可愛い教会でした。
<ザルツブルク>
ザルツブルク(Salzburg)とは、「塩の城」という意味です。 この町から東へ行ったところに塩を産するザルツカンマーグートや15キロほど南のハライン (Hallein) があり、 ザルツブルクは古くから塩の交易で栄えてきました。輸送されてきた岩塩をノンベルク尼僧院の前で船に積み ザルツァッハ川(Salzach)によってヨーロッパ各地に送っていたとのこと。
名前の発音についてですが、標準ドイツ語では「ザルツブルク」、南ドイツ・オーストリア日常語では母音の前の/s/を有声化しないため 「サルツブルク」と発音されているようです。
<カプチーナベルク>
急な石段を登っていくと、カプチーナ教会の神父さんに出会いました。 その姿は、この石段の風景に見事にマッチしていました。一瞬、絵になる、と思ったのですが、 「おはようございます。」と挨拶を交わしただけ。(^^ゞ
<旧市街>
カプチーナベルクから見た旧市街の風景です。 メンヒスベルクの山にホーエンザルツブルク城が見えます。 そして、その手前に見える丸いドームの塔が大聖堂、その左にあるのがグロッケンシュピールです。
<南東の眺め>
カプチーナベルクから旧市街はちょうど南に見えています。 この写真は南東の景色、右上に見えるのはノンベルク修道院です。 映画ではマリアの修道院として登場した場所ですね。左下に見えるのがモーツァルト小橋。 これも、映画に登場しています。
<朝 日>
しばらくすると、雲の切れ目から朝日が差し込んできました。 実は、この日の早朝5時くらいに目が覚めたときは、激しい雷雨でした。 その時は、今日の観光は無理だな・・と半分諦めていたのです。
<リコーダー>
ボクが撮影している間、うちの奥様はリコーダーを吹いていました。 昔、オーケストラでオーボエを吹いていたのですが、今はもっぱらリコーダーです。ザルツブルクは音楽祭の真っ最中、 どこかでリコーダーを吹きたいという希望がここカプチーナベルクで叶えられました。
写真の尖塔は、フランツィスカーナー教会です。
<石段からの風景>
映画サウンドオブミュージックに次々と登場する大聖堂や教会の尖塔を堪能したので、もと来た石段を下る事にしました。 この石段を登ってきました。 カプチーナ教会の尖塔とその背景に旧市街が見えています。
先ほど神父さんとすれ違ったのがちょうどこの場所、そしてボクが立っている左手に旧市街を展望できる 広場があります。
<ミラベル宮殿>
独裁政治を推し進めた大司教ヴォルフ・ディートリヒ・フォン・ライテナウ(在位1587-1612)は、 ユダヤ教徒の町娘の美女ザーロメ・アルトのために1606年に別荘アルテナウ小城 (ミラベル宮殿)を造りました。
<美しい眺め>
ミラベルとは「美しい眺め」の意味で、その名のとおり正面にホーエンザルツブルク城を望む絶景が広がる美しい庭園です。
<サウンドオブミュージック>
ミラベル宮殿の庭園は、マリアと子ども達が歌って走った映画の舞台でもあります。 ここバラのトンネルではマリアがスターターとなり子供達が競争をしながら走って行きます。
<ペガサスの噴水>
ここも「ドレミの歌」を歌った場面に登場するペガサスの噴水。 このペガサスの泉で7人の子役全員が集まりサウンド・オブ・ミュージックから 36年後の2000年に記念写真を撮ったとのことです。
<トラップファミリー合唱団>
映画サウンドオブミュージックは、実話に基づいて作られていますが、 その元になったのは、1949年にマリアが出版した「トラップ・ファミリー合唱団物語」 (サウンド・オブ・ミュージック)、そして1955年に出版した「トラップ一家の物語」等です。 初めは、一家の活躍を描いた、映画「菩提樹」が西ドイツで製作されました。 それが好評を博したため1958年にはオーストリア出国後の一家の活躍を描いた「続・菩提樹」が作られています。 その後、著作権等をアメリカのプロダクションが買い取り、ミュージカル化、そして現在の映画となったのです。 でも、早々に権利を売り渡したマリアは、莫大な収入の恩恵にあずかることはできなかったようです。
<ドレミの階段>
写真はドレミの歌、最後のシーンに登場する階段です。
さて、ミュージカルは大ヒットしましが、あまりに現実とかけ離れた物語や父ゲオルクの人物像に マリアと子供たちはショックを受けたそうです。 やがて1965年にジュリー・アンドリュースの主演で映画化されると世界中で大ヒットすることとなりましたが、 このときもマリアは脚本家に対して、夫ゲオルクの書き方を改めてくれるよう頼んだそうですが、 結局聞き入れられることはなかったということです。
<階段の上から>
ドレミの階段の上から眺めてみました。 早朝の光が強く、コントラストが強すぎたのですが、ホーエンザルツブルク城を遠景にすばらしい眺めでした。 観光客も多かったです。
<出口から>
出口から見たミラベル宮殿です。今は市役所になっているらしいです。 宮殿前に広がる庭園は、シェーンブルン宮殿を手がけた建築家フィッシャー・フォン・エアラッハの傑作です。
<モーツァルトの住居>
ミラベル宮殿から南東に、モーツァルト一家が1773年から1780年まで住んでいた家があります。 戦争被害にあいましたが、1996年に再現され、今は記念館になっています。
<クイズ1問目>
このたくさんの国旗が掲げられている建物はいったい何でしょうか? というクイズを出題しましたが、正解はホテル・ザッハーでした。 参加された方、ありがとうございました。
<クイズ2問目>
クイズ2:この普通の建物は何でしょうか? という出題でしたが、正解はヘルベルト・フォン・カラヤンの生家でした。 参加していただいた方、ありがとうございます。
<旧市街へ>
マカルト小橋(Makart Steg)は、歩行者専用の橋です。 新市街から旧市街へとこの橋を歩いて渡ります。 そろそろ昼近く、南向きの写真では逆光になりました。
<コレギエン教会>
橋の上から見えるドーム型の教会の塔は、コレギエン教会のものです。 モーツァルトの生家のすぐ裏に建っていますが、モーツァルトのお父さんが中退した大学の附属教会だとか(笑) でも、教会の正面は改装中で、白い幕で覆われていました〜
<ゲトライデガッセ>
目の前に建っている黄色の建物がモーツアルトの生家です。 その前には人が山ほどたかっています。(笑) 生家の前が有名なゲトライデガッセ、つまりゲトライデ通り。
この通りは、夏は観光客でごった返しますがたくさんお店があってウィンドウショッピングできるし、 歩くだけで楽しいです。おみやげ探しにもいいかもしれないです。
<裏窓から>
レオポルト・モーツァルトの一家は、ゲトライデガッセ9番地の住居に1747年から1773年まで住んでいました。 1756年1月27日にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトがここで誕生しました。 特に有名な展示品は、モーツァルトが使用していた子供用バイオリン、コンサート用バイオリン、ピアノ、 モーツァルト家の肖像画と書簡です。でも写真は禁止されています。
しかたなく、裏窓からの風景を撮りました〜(笑)右に見えるのがコレギエン教会。
<露 店>
モーツァルトの生家を見学して出てきたら、人の山はさらに膨れ上がっていました〜。 どこから集まってきたのか、ツアーの日本人も山ほどいました(笑) それから、とりあえず昼食を済ませ、コレギエン教会のある大学広場に抜けると、露店が並んでいます。 野菜や果物、チーズに肉、パンなど、新鮮なものがいろいろ売られていました。
<昼 食>
ゲトライデガッセにあるレストラン(名前を忘れた〜)で、牛肉の煮込み料理(グヤーシュ)を食べました。 グヤーシュといえば、ハンガリーの名物料理ですが、オーストリアのものは美味しかったです♪
<露 店>
露店のおじさんが、試食用のチーズを小さく切っていました。 それにしても、元のチーズのでかいこと!チーズは大好きなのですが、重いので買いませんでした〜。 試食くらいしておけばよかった・・(^^ゞ
<オープンカフェ>
そうそう、ザルツブルクには「ザルツブルクカード」というものがあって 有名な観光地への入場料や乗り物がFreeになるという優れものです。 観光案内所で購入することができるので、事前に買っておくといいです。
<ホ−エンザルツブルク城>
食後、ケーブルカーでザルツブルク城に登りました。高いところ大好きなボクとしては、ここは外せません(笑) これは城のテラスからの眺め。写真の右、目の前に見えているのが大聖堂、その手前に見えるのはカピテル広場です。
<城からの眺め>
やっぱり高いところからの風景は気持ちがいいですね。
目の前に見えているのがフランツィスカーナー教会、その向こうにコレギエン教会が見えます。 町の中央を流れるザルツァッハ川、先ほど歩いて渡ったマカルト小橋も写っているのがわかるでしょうか。 川向こうが新市街、手前が旧市街です。
<城からの眺め>
街を見下ろすメンヒスベルクの丘に立つザルツブルクのシンボル的な城塞。 1077年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と教皇グレゴリウス7世の間に起こった聖職叙任権闘争のさなか、 大司教ゲープハルト1世が皇帝派に対抗すべく建築した防衛施設とのこと。
<裏側の眺め>
これは、ザルツブルクの市街とは反対側の風景です。
城塞内にはマリオネット博物館や、城塞博物館、それに拷問室もあります。 この城は政治犯の監獄として使用されていたことがあるそうです。 ミラベル宮殿を建てた前述の大司教ディートリッヒは、バイエルン大公国と 製塩権をめぐって破れたのを期に退位させられ、ここに5年間監禁されて世を去ったそうです。
<ゲオルグ教会>
城塞の中庭にある教会です。1500年に大司教コイチャッハによって作られた後期ゴシック様式の教会。 軍人の守護聖人である聖ゲオルグに捧げられたものだそうです。外壁には、コイチャッハのレリーフがあり、 小さな子どもにおばあちゃんが何やら説明をしている姿がほほえましかったです。
⇒   ザルツブルク<U>



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