<グラーツ>
グラーツはウィーンに次ぐオーストリア第二の都市です。
古代ローマ帝国の時代に設けられた砦がグラーツの起源だそうです。13世紀に都市特権を得ています。
中世後期よりハプスブルク家の支配下におかれ、フェルディナント2世など何人かの歴代皇帝がこの地で生まれました。
グラーツという名称は、スラブ語のグラデツ(小さな城)に由来します。
古来から、東側からの外敵に備える要塞の役割を果たし、皇帝フリードリッヒ3世は、
1438〜1453年の間、ここに居城を置きました。
ハンガリーがオスマントルコの支配下にあった16〜17世紀には、最も重要な防衛拠点のひとつでした。
1586年、グラーツ大学が創設され宗教改革期にはケプラーが講義を行いました。
シュロスベルク(城山)からは、グラーツの町が一望できます。
城山からはシンボルである時計台が町を見守るように立ち、駅と旧市街の間にはムーア川が静かに流れています。
2003年に世界遺産に登録された旧市街は、中世の面影をそのまま残しています。
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ハルシュタットを発ってバスで約3時間、宿泊地のグラーツにやってきました。
ホテルはCOURTYARD BY MARRIOTT GRAZです。中規模のホテルで、わりとよかったです。
実は、グラーツの下調べはほとんどできていません。
ザルツブルクとウィーンは綿密に調べて来たのですが、グラーツまでは手が回りませんでした。(^^;
というのは、翌日のグラーツ観光は午前中のみで、午後からはゼンメリング鉄道に乗ってウィーンへと向かうからです。
ゆっくりと見て回る事が出来ませんでしたが、旧市街の赤い屋根の町並みは落ち着いた雰囲気で、好感が持てます。
今回は、駆け足で見て回ったグラーツ旧市街の特徴的なところだけを紹介します。
この写真は、早朝の町の様子です。まずは、シュロスベルク(城山)と呼ばれる丘に登って、
市街を見下ろしたいと思います。
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<ケーブルカー>
シュロスベルクの丘へは、ケーブルカーかガラス張りのエレベーターに乗ります。
これは、ケーブルカーのチケット売り場です。窓口の上には次発の時間が表示されています。
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<シュロスベルク>
海抜473mの丘の上までは、ケーブルカーで約2分。料金は1.7ユーロでした。
この写真は、ケーブルカーを降りたところ。この右手からも市街が一望できます。
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<観光案内>
ケーブルカーから降りた場所から、さっそく旧市街を見下ろしてみました。
「観光案内には、城跡のあるシュロスベルクの丘はグラーツ観光で第一に訪れたいスポット。
緑深い公園と、滔々と流れるムーア川東岸に広がる旧市街の美しさが一望できる。
城跡に残る時計塔と鐘楼は中世以来の街のシンボルだ」・・とあります。
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<旧市街>
赤い屋根の旧市街には、教会の尖塔や時計台がよく似合います。
ただの赤い屋根が続くだけでは、単調な面白みのない写真になってしまいますよね。
でも、下調べをしてこなかったため、あの尖塔やこの時計台がなんと言う教会のものなのかわかりませんでした〜(^^;
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<シュロスベルクより>
赤い屋根は、ドイツのハイデルベルクにどこか似ています。
そうそう、カール・ベームという指揮者はご存知でしょうか?
グラーツが輩出した偉大な音楽家です。
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<公 園>
カール・ベームは、オーストリア最初の総音楽ディレクターのタイトル所持者として、
オーストリアの歴史に残る偉大な音楽家。
シュロスベルクの上は公園になっていて、いい感じ。
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<鐘 楼>
この鐘楼は1588年建築。ここに設置されているグラーツで最も有名な鐘は「リースル」と呼ばれていますが、
この愛称の由来が、シュロスベルクにあるエリザベートの礼拝堂なのか、または地下牢を意味する
ドイツ語(Verlies)なのかは定かでありません。ただ、この地下に、この要塞で藻音も残忍な
牢があったことは確かだそうです。
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<りんご>
「リースル」は鐘楼の最上階にあり、日に3回(朝の7時、正午、夜の7時)に、それぞれ101回ずつ鳴り響きます。
伝説によると、この鐘が101個の砲弾から鋳造されたからとされています。
シュロスベルクには、まるで植物園のようにいろいろな植物が育っています。
リンゴの実が一個だけぶら下がっていました。
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<調 和>
古い伝統的な旧市街と新しい近代的な建物が融合する町・・・う〜ん、日本で言えば
伝統的な町屋や寺社が残っている京都という感じでしょうか。
何が調和なのか・・・
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<見張り小屋?>
こんな雰囲気のある建物(小屋)もありました。何のための小屋なのか・・?
屋根瓦は見ての通りうろこ状、グラーツの屋根瓦は全てこのようなうろこ状です。
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<クンストハウス>
写真の左側、旧市街の中に変な建物があるのが見えると思います。
これはグラーツ芸術館(Kunsthaus)。建築家ピーター・クックとコリン・ファーニアの設計です。
いろいろな意見があるようですが、やっぱり旧市街にこういう建物が見えるのは邪魔です(笑)
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<ムーア川>
写真にムーア川を見る事が出来ます。
そしてムーア川を挟んで旧市街が広がっています。ところどころにある斬新な造形物は、グラーツ市に言わせると
「伝統とアバンギャルドの間に生まれる建設的な緊張関係を特徴としたグラーツ市のトレードマーク」
とのことです。
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<時計台>
街が誕生して今日に至るまで、町の機能とシュロスベルクは切っても切れない縁があります。
ケーブルカーでシュロスベルクに登ると、13世紀に建てられた高さ28メートルの時計塔があります。
この塔の時計は、1712年から現在に至るまで時を刻み続けていますが、この時計には、珍しい二つの特徴があります。
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<大聖堂>
12世紀に建てられた教会の跡に、1438年から1462年にかけて皇帝フリードリッヒ3世が王宮礼拝堂として、
同じ時期に建てられた王宮の向かいに建造させました。この堂々たる後期ゴシック様式のホール状教会の内部には、
内陣アーチの左右に置かれている二つの豪華絢爛なルネッサンス式チェストやピエトロ・デ・ポミスによる祭壇画など、
数多くの芸術品があります。司教座聖堂となったのは、1786年からのことです。
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<時計台の特徴>
そのひとつは時計の文字盤が直径5.4メートルと巨大であること。
そして、もうひとつは、金箔がかけられた針の長針と短針が逆に取り付けられていることです。
つまり、この時計では、長針が時間を、短針が分を指しているのです。
初めて見たときは、???でした(笑)
元来、この時計の針は、一本しかありませんでした。
そのお陰で遠くからでも時計が何時を指しているのかが一目でわかったのだといいます。
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<市庁舎>
写真の中央にデーンと立っているのが市庁舎。
1550年に最初の市庁舎が建てられ、その様式はルネッサンス様式でした。
1806年に増築されたときに、新古典様式に、さらに1887年〜1893年に歴史主義様式に大幅な改築が行われ、
現在のいくつもの塔がそびえる姿になっています。
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<クイズ第一問>
時計台から階段を下りていくと、そこには、1930年以降、地中海の植物やイチジク、レモン、イチョウ、
グリジニア、バラなどが繁り続ける庭があります。
さて、この庭の名前は次のうちどれでしょうか?というクイズですが、答えは(1)でした。
(1)ヘルベルシュタイン庭 (2)シュロスベルク・クリフト庭 (3)カセマッテン庭 (4)フランツ・ヨーゼフ庭
(5)エリザベート庭
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<教 会>
シュロスベルクを降りたところに建っている教会。
先ほどの庭から、今度は階段でシュルスベルクを降りていきます。
町を見下ろす視線が次第に低くなっていくにつれ、その眺める風景が変わっていくのが楽しかったです。
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<ハプスブルク>
グラーツで、ハプスブルク家の名前が初めて現れたのは、ハプスブルクのルドルフが
グラーツに通行税制度と裁判権に関する一定の権利を保障した1281年頃のことです。
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<ハプスブルク>
しかし、15世紀になってやっとハプスブルク家の門地、家領拡大政策を確立したフリードリッヒ3世が、
グラーツをお気に入りの居城都市のひとつにしたことで、その後、この町は都として急速に発展していきました。
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<フリードリッヒ3世>
フリードリッヒ3世は、グラーツにいながら世界帝国の礎を築いたのです。
ハプスブルク家のお家芸と言われる結婚政策は、この皇帝フリードリッヒ3世によって開始されました。
写真は、オーストリアのカラス。真っ黒じゃないですが、ズーズーしいのは日本と同じ(笑)
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<シュロスベルク広場>
シュロスベルクには、この階段でも登ることができます。
ボクたちは、登りはケーブルカー、下りは階段。(^^ゞ
降りたところに、シュロスベルク広場があります。
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<ヨハン大公>
シュロスベルクに別れを告げて、中央広場にやってきました。
広場の中心には1878年に立てられたヨハン大公の記念像があります。
シュタイヤマルクのプリンスと呼ばれるヨハン大公は、1782年、女帝マリア・テレジアの三男である
レオポルド(後の皇帝)とスペイン王女マリア・ルドヴィカの13番目の子どもとして生まれました。
19世紀の激動の時代に活発化した産業教育や社会福祉の遠大な先覚者として広く知られています。
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<Sackstrasse>
ヨハン大公は非常に活動的で、庶民的な人柄であり民主主義的な思想を持っていました。
シュタイヤマルク州の農業、鉱工業、林業を大きな繁栄へと導き、その他にも学校や病院の開設を進め、
学問の推進者ともなりました。
写真は、中央広場から見たサックシュトラッセ(Sackstrasse)。
この道には、グラーツ中の芸術ギャラリーとアンティークショップの大半がひしめいています。
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<トラム>
グラーツの町にも、トラムがひっきりなしに走っています。
京都では、交通渋滞を引き起こすからという理由で、かなり昔に廃止されたのに・・
環境に対する考え方が違うようです。
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<停留所>
トラムの停留所のマークは、見ての通り黄色地に緑のHマークです。
トラムの色は、白・赤・緑と様々。
電車が走っていないときは、もちろん歩行者の横断は自由です。
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<ヨハン大公像>
これは、ヨハン大公像の土台。プレートにはヨハン大公のことが記されています。
大公は、1811年、グラーツにヨアネウムを設立。ヨアネウムはラテン語で、ヨハン館という意味ですが、
自然科学の研究と技術教育を目的としていました。これが今日のレオーベン鉱業大学、
グラーツ工科大学、州立ヨアネウム博物館、図書館などに発展しています。
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<女性像>
大公の足元にかしずく4人の女性像は、旧シュタイヤマルク領を流れていた大きな川
(ムーア川、エンス川、ドラウ川、サン川)を象徴しているそうです。
このハウプト広場は、町の心臓であり中心地です。グラーツ出身の建築家、マルクス・ペルンターラーが
2002年に設計したそうです。
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<市庁舎>
先ほどは、シュロスベルクから市庁舎を眺めましたが、この写真は、市庁舎の入口前を飾る漆喰の像。
さて、ヨハン大公は、今なお民謡の中に謳いこまれていて、人々に敬慕されていますが、
それはさまざまな偉業を果たしたという以外に、平民の娘アンナ・プロッフルとの恋を貫き通し、
民間人とまでなって結婚したことにも由来しています。
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<ハウプト広場>
ヨハン大公の、このニュースは全ヨーロッパの王侯貴族たちを驚倒させ、民衆の拍手喝采を巻き起こしたと伝えられています。
このような意味でも、ヨハン大公は、時代を先取りした偉大な人物としてグラーツのハウプト広場(中央広場)
の中央に像が立ち、今も人々と共にいるということなんですね。
ハウプト広場は、漆喰建築の建物に囲まれ、とても綺麗です。
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<町の風景>
ちょうど結婚式を済ませたカップルに出会いました。
おめでとうの祝福と同時に、写真を撮らせてもらいました。
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<ハウプト広場>
広場の周りを囲む豪華なファサードの中でもシュポールガッセの四つ角にある漆喰装飾を豊かに施した
ファサードを持つルエックハウス(1690年)が一段と際立っています。
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<絵画の家>
グラーツには綺麗に装飾を施した建物が多いですね。
これはヘーレンガッセにある、フレスコ画が描かれた館を意味するゲマールテスハウス。
なんと壁中にフレスコ画が描かれています。どう表現すればいいのでしょうか・・綺麗とは言えないし(笑)
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<州庁舎>
1557年ルガノ出身の建築家ドメニコ・デラリオによって設計されたルネッサンス建築の傑作。
中でも3〜4状の円窓は、その真ん中の支柱に下三分の一に見られる彫刻が特筆に価します。
豪華な回廊が美しい中庭では、ルネッサンス芸術の傑作を目の当たりにできます。
時計をアップにしてみました。
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<霊 廟>
1614〜38年 ピエトロ ・ディ ・ポミスとピエトロ・ヴァルネグロによって建てられた
皇帝フェルディナンド2世の霊廟は、初期バロックの傑作に数えられます。
1687年には、皇帝レオポルド1世がこの内装をフィシャー・フォン・エアラッハに委ねました。
内部の飾り漆喰と中央祭壇は、彼による作品です。
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<霊 廟>
この建物は、カタリーナ教会と地下礼拝堂で構成されています。
霊廟の丸天井には、十字架と帝国の表章が今でも見ることができ、教会と支配者の密接な関係を
誇示しているほか、街並みに独特のシルエットをもたらしています。
このハプスブルク家最大の霊廟は17世紀前半のオーストリア・マニエリズムを代表する
芸術・文化史上、最も重要な建物です。
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<ドーム>
1438年から1462年にかけて皇帝フリードリッヒ3世が王宮礼拝堂として、王宮の向かいに建造させました。
主祭壇も撮ったのですが、暗くなってしまったので、パイプオルガンだけを。(^^ゞ
若い男の子が、練習をしていたのですが、さすがパイプオルガン、すごい迫力でした。
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<司教館>
司教館正面のファサード。小規模ながら、なんか、ものものしい装飾ですね(笑)
さて、この地域の郷土料理は、周辺各国のハンガリー、スラブ諸国、イタリアなどの影響を受けた、
たっぷりの野菜と肉の煮込み料理や、多種多様なだんご料理、パスタ料理、パイ料理などです。
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<クイズ第二問目>
( )に入る野菜の名前を答えてください、というクイズの答えは「カボチャ」でした。
グラーツ一帯の地方は、( )の産地で、( )の種から作る濃い緑色の( )油は、
お料理にもよく使われています。最近の研究では、( )油は、癌の予防や心筋梗塞予防に良い
健康食品として注目を浴びているそうです。
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<パン屋>
シュポアガッセから横道のHofgasse/ホーフガッセに入るとすぐに右にこのパン屋さんがあります。
「Hofbackerei Edegger-Tax/エーデッガー・タックス」という名前。
このパン屋さんは宮廷御用達のパン屋さんで、なんと創業1569年です。
ここでは現在でも皇帝時代のパンを味わう事ができます。
でも、お腹がすいていなかったので、何も買いませんでした〜
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<双頭の鷲>
パン屋さんの入り口に飾られている紋章です。
ドイツの行進曲「双頭の鷲の旗の下に」(英:Under the Double Eagle/独:Unter dem Doppeladler)
はハプスブルク家オーストリア・ハンガリー帝国を謳ったものとして有名ですが、
この双頭の鷲の紋章を入り口に掲げる事によって、ハプスブルク家御用達ということを示しているのでしょうね。
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<グロッケンシュピール>
ここでは毎日3回(11時、15時、18時)アブラハム・ア・サンタ・クララ・ガッセに面した
エックハウスにある二つの扉が開き、民族衣装姿の男女の木彫り人形が回転して、
仕掛け時計が鳴り響きます。この大きな仕掛け時計は、1903年から1905年にかけて、
当時の館主ゴットフリード・シモン・マウラーが作らせたものだそうです。
この時は、11時でした。
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<イタリア文化>
ルネッサンスの時代からグラーツには、イタリア文化が入ってきました。
南欧の明るい雰囲気が今も街のいたるところに脈々と流れ、現代に至ってはたくさんのピッツェリアから、
最高級のイタリアンレストランもいくつかあります。
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<グラーツ駅>
さて、急ぎ足で駆け抜けたグラーツにもお別れです。
もっと時間を取って、ゆっくりと回ることができればよかったのですが・・・
午後は、これも世界遺産に登録されているセンメリング鉄道に乗って、ウィーンに向かいます。
でも、有名なアーチ型の石橋は、電車からは写すことが出来ませんでした〜
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(7)ウィーンT
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