(1)スロベニア−ブレッド湖  (2)クロアチア−クルカ国立公園  (3)トロギール−スプリット−ドゥブロヴニク  (4)ドゥブロヴニク  
 (5)モンテネグロ−コトル  (6)ボスニアヘルツェゴヴィナ−モスタル−プリトヴィッツェ国立公園 (7)プリトヴィッツェ国立公園−ザグレブ
<上湖群>
食後は、プリトヴィッツェ国立公園の上湖群を巡りました。
コジャク湖より南側は上湖群と呼ばれます。今回のツアーは10日間ということで、まるまる一日をプリトヴィッツェ 観光に費やす事ができます。細いけど歩道も整っており、これほど暑くなければ素敵な自然の中の散策なのですが・・。 自由行動なので、とりあえずマイ・ペースで緩やかな坂を登っていきます。
<カロヴァッツ湖>
観光案内によると「山から吹く心地よい風と、湖の水しぶきが爽やかな夏。夏場もあまり気温が上がらないため、 快適に絶景ハイキングが楽しめる。」と書かれていました。例年だとそうなのかもしれません(苦笑)
<小さな滝>
上湖群でもいろいろな所から小さな滝が流れ落ちていました。 でも、もう少し水量が欲しいところですね。
<大きな滝>
水量が少ないので滝と言う感じがしません。 暑すぎて流れる水も減ってしまっているのでしょうか、ちょっと失望。
<コマドリ?>
山道を歩いていると、小さな小鳥を発見! 色と顔の表示から考えると日本のヒタキやコマドリの仲間のようです。 すぐ近くまで来てくれたので、最大200mmのレンズで撮影。
<苔>
上湖群の分かれ道に、こんな苔むした岩に流れる小さな滝を発見。 日陰で一息、いい感じでした。
<もう一枚>
同じ場所での撮影です。 水量が感じられず、いい写真がないので、プリトヴィッツェの紹介はここまでとします。 季節を変えてリベンジしたいところです。
<夕食>
上湖群の後半は、トローリバスに乗ってホテルに帰ってきました〜。 これは、レストランでの夕食、ビーフストリガノフです。
<デザート>
たくさん歩き、いっぱい汗を流したので水も食事もペロリでした。
<小鳥>
早朝、涼しいうちに近くの森を歩いてきました。 リスやたくさんの小鳥が出迎えてくれましたよ。これはゴジュウカラですね。 日本のものとそっくりです。
<ラストケ村>
プリトヴィッツェの森から30キロほど手前にある小さな村に立ち寄りました。 可愛い村と聞いていたのですが、猛暑のためか、全然可愛く見えなかったのです。
<滝の流れ>
日差しが強く、明暗のくっきりする景色は写真泣かせです。 滝だけ撮っても面白くありません。
<村の一角>
村の中を歩き回る・・と言っても小さな村なのですぐに終わってしまいます。 これはその一角の写真。
<水の村>
水が豊富でいろんな所から沢に流れ落ちていました。 カメラを固定して撮ったのですが、イマイチです。
<ザグレブに向けて>
プリトヴィッツェからだいたい150km離れている、クロアチアの首都ザグレブに向かいます。 バスで3時間はかかるでしょうか。とにかくポイントからポイントまでが離れているので バスに乗っている時間がメッチャ長いです。
朝9:00に出発して、到着が12:00でした。
<昼食>
何もしなくてもお腹は減ってきます(笑) 昼食はザグレブのレストランでザグレブステーキ。ウインナーシュニッツェルに似ているなぁ。
<デザート>
ついでにデザートのケーキを。
<紙幣>
食事中に紙幣を集めて写真に収めようということになり、ツアーの仲間と出し合って撮ってみました。 単位はクーナ、1クーナは13円程度のレートになります。このほか、貨幣で5クーナ、1クーナがあります。
補助通貨としてはリーパがあり、1クーナは100リーパです。
<ザグレブ>
ザグレブにやってきました。 11世紀に建てられた聖母被昇天大聖堂があるカプトル地区と、職人や商人などの自由都市として13世紀に繁栄したグレデツ地区 があります。
これは聖母被昇天大聖堂前の広場、金色に輝く聖母マリア像が立っています。
<大聖堂>
聖母被昇天大聖堂は、キリストの母マリアと聖ステファンを祭り、2つの鐘楼を持つ建物です。 13世紀に建てられ、19世紀に建築家ヘルマン・ボレーによって現在の美しいネオゴシック建築に 修復されたそうです。
右側の鐘楼は修復の最中でした。
<大聖堂>
ドブロブニクにも同じ名前の大聖堂があるのですが、ザグレブのほうが断然大きいものです。 他の国にも同じ名前の大聖堂がたくさんあるのですが、クロアチアの中では一番大きな大聖堂だと思われます。
<ザグレブ>
ザグレブは、11世紀にハンガリー王ラースロー1世が現在のラプトル地区をローマカトリックの司教区として 定めたことから始まっています。13世紀には、西のグラデツ地区がハンガリー王ベーラ4世によって 自由都市として認められ、商業の街として繁栄しました。
大聖堂の2本の鐘楼は100mを超えていると言われ、 街のシンボルとなっています。古い大聖堂や教会の装飾の中には高名な芸術家が描いた宗教画や彫像が残されている事が多く 教会を訪れる事はヨーロッパ旅行では欠かすことができません。
<広場から>
大聖堂前の広場から見える風景です。 見えている塔は後で訪れる聖マルコ教会のものに似ていますが、距離から考えると違う教会の塔だと 考えられます。
<内陣>
大聖堂内陣です。正面の祭壇にはステンドグラスが、左手には説教台が見えています。 大聖堂を支える柱は円柱ではなく、四角形ですね。
<聖母マリア>
この小さな祭壇には聖母マリアが奉られています。 祭壇の前にはたくさんのロウソクが灯され敬虔な信者が祈りを捧げています。 観光客との対比が面白いです。
<装飾>
誰をかたちどった彫像かわかりません。
<キリル文字>
祭壇の反対側左手にある、グレゴール文字を書いてある壁面です。 クロアチアはキリル文字を使っていますが、その原型にあたるグレゴール文字と言うことでした。
<後部>
内陣の後部です。大聖堂につきもののバラ窓が見当たりませんね。
<祭壇>
正面祭壇のステンドグラスと下のほうにチラッと見えているのは、ザグレブの大司教であったステピナッツの墓です。 第二次世界大戦後に戦争犯罪人として、彼はユーゴスラビア政府から迫害を受けました。軟禁のまま彼は死んでしまうことになるのですが、 クロアチアに民主国家ができたときに、ステピナッツの刑は無効であるとされ、クロアチア独立のために戦った大司教として 奉られているそうです。
<被昇天>
大聖堂の名前の通り聖母被昇天の絵です。誰が描いた絵なのかはわかりません。
<広場より>
大聖堂の正面左側に、壁のようなものが一部見えています。 実はこれ、大聖堂を含めたカプトル地域を囲っていた城壁のあと。 そんな大聖堂の周りにあった城壁で、20世紀初めにはすっかり取り外されてしまったものです。
<市場>
このすごい数の赤いテントの群れはドラツ青果市場と言います。赤いテントの下にはたくさんの果物や野菜はもちろんこと、 ハムやチーズのような加工品も売られているし、雑貨みたいなものも売られています。
<ザグレブ>
ザグレブ市の紋章がマンホールに描かれていました。面白いので撮ってみました。
<奇跡のイコン>
中世時代にグラデッツ地区を囲んでいた城壁門の一つ。 当時、木製だった城門は焼失したため、18世紀後半に石造りに替えられました。 その火災の時に、唯一奇跡的に聖母子のイコンが焼け残り、 「奇跡のイコン」と呼ばれています。 それ以後、この小さな礼拝堂に安置され、敬虔な信徒たちの信仰の対象となっています。
<聖マルコ教会>
屋根はタイルで作られており、基調は赤・白・青の三色のチェックで、真ん中には2つの紋章がデザインされています。 左側のほうは、クロアチア王国の赤白のチェックと、ダルマチア地方の象徴の3頭のライオンと、 スラヴォニア地方の象徴の星とテンとサヴァ川の紋章を組み合わせたものとのこと。 右側の紋章は、ザグレブ市の市章です。
<聖マルコ教会>
15世紀に建てられたロマネスクとゴシック建築の教会です。中には入る事ができないのですが、 イェラチッチ広場からは歩いて10分程度なので、見ておいて損はない建物です。
<ベンチ>
他に撮るものはないのか、と言われそうですが、面白いベンチがあったので撮ってきました(笑)
<イェラチッチ広場>
市の中心に位置する広場で、ユーゴスラビア時代には共和国広場と呼ばれていました。 とても賑やかで、イェラチッチ総督の像や17世紀に建てられた泉と噴水があります。
<帰国>
ザグレブ観光の後はホテルで1泊し、翌朝帰国。とにかく40度近い気温の中、とんでもない旅行になりました。 来年は涼しい所にする、と堅く誓って帰国の途につきました。これはグラーツの空港。
<帰国>
さて、ザグレブを出てバスでグラーツ空港へ、日本への直行便があるフランクフルトまで飛んで、 そこからルフツハンザ航空にてKIX(関空)まで。早朝8:00着です。やれやれとんでもない思い出話ができそうです。 でも、大きな事故がなくよかったです。
実は、この最後の旅行記(7)は、2012年の夏ベネルクスから帰ってきてあわてて書き終えています(苦笑)
⇒ 終了
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