<ウィーンの交通>
ウィーンの市街には、地下鉄、市電、バスが走っており、市内交通のチケットはすべて共通です。
乗車券の種類は、1回乗車券が1.5ユーロ、24時間フリーパスが5ユーロ、72時間フリーチケットが12ユーロ、
そして、8日間パスが24ユーロとなっています。ボクたちは、最初に地下鉄を利用する際に、24時間フリーパス
を購入したのですが、券売機にはとにかくいろいろなチケットがあって、どれを購入したらいいのか
分かりにくかったです。券売機の前でウ〜ン、ウ〜ンとうなっていると、ウィーンの親切な青年が
何を買いたいのか?と尋ねてくれました。1DAY freeチケットはどれか?と尋ねると、ポンポンポンと
券売機を操作してくれました。ありがとう、オーストリアの若者よ♪(^^ゞ
チケットは使用開始時に日付と時刻を印字しなければなりませんが、それは地下鉄だと入り口に
市電だと電車の中に刻印機が設置されています。こうしておくと、電車、バスには乗り放題♪
地下鉄には日本のような改札口もありません。人々は自由に出入りしています。
もちろん、ただ乗りもできますが、ときどき検札に回っており、見つかると破格の罰金が科せられているようです。
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<オペラ座>
カールス教会からリンクに向かって、歩いて5分くらいのところにオペラ座があります。
下調べのときに、午後3時からは、日本語の館内ガイドがあるということだったのですが、
カールス教会でのんびりしすぎて、3時を15分ほど回ってしまっていました。 オペラ座の周りをウロウロしてると、
中世貴族の格好をした青年が近づいてきて、演奏会のチケットを買わないか?と言います。
この青年達は、暑いのにこんな格好をしてアルバイトをしているのでしょうね(笑)
時間がないからいらん、と言うと、ボクのカメラに目をつけ、これはいくらだ?NIKONよりCANONの方が
いいのじゃないか、などといろいろ話しかけてきました。写真が趣味で、自分もカメラに関心が高いとのこと。
実は、この青年、日本にも来たことがあるらしく、京都から来たんだよと言うと、
京都はいいところですね〜わたしは静岡に行きましたと話してくれました。
日本人が懐かしくて話しかけてきたようです。
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<噴 水>
オペラ座の横にある噴水です。写真の下に見えているように、中世貴族の格好をした青年たちが何人か
歩いています。観光客を見つけては、今夜の演奏会のチケットを売りつけようとします。
オペラ座での演奏会に興味がないわけではなく、一度こういう場所で聴きたいとは思うのですが、
今回はとりあえずウィーンの町を見て回る事が優先です。
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<シュテファン寺院>
オペラ座からシュテファン寺院までは、ケルントナー通りと呼ばれる賑やかな通りがあります。
いろいろな店があり、買い物にも便利な通りなのですが、ボクたちは歩きつかれたので、
カールスプラッツ駅から地下鉄に乗って、シュテファンプラッツ駅までひとっ飛び。(^^ゞ
時間は短縮できるけど、ウィーンを見て回るには、やっぱり歩いた方がいいですね。
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<シュテファン寺院>
シュテッフルの愛称で親しまれているウィーンのシンボルです。
旧市街の中心にあり、ウィーン観光の起点といってもいいところです。
歴代皇帝の葬儀が行われた、ゴシックの壮大な寺院。
この大聖堂の建築史は12世紀に始まりましたが、ルドルフ4世(在位1358-1365)はこの教会を
ゴシック様式に全面的に建て替えることを命じました。
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<主祭壇>
主祭壇の祭壇画には、キリスト教徒の最初の殉教者となった聖ステファヌスの投石による死が描かれています。
第二次世界大戦のウィーン攻防戦の最後の数日に、大聖堂は火災で大きな被害を受けましたが、
オーストリア国民と政府が再建に協力し、1948年に盛大な祝祭をもって大聖堂は復活しました。
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<フリードリヒ3世>
主祭壇に向かって左手には、キリストや聖母マリアの生涯を描いた「ノイシュタットの祭壇」があります。
向かって右手には、写真ではこの奥になりますが、ハプスブルク家のフリードリヒ3世の墓があります。
彼は、1452年に神聖ローマ皇帝に即位してハプスブルク家発展の基礎をつくった人物です。
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<南北の塔>
高いところからウィーンの町を眺めたかったので、寺院の見学後、北塔に登りました。ここはエレベーターで上れます。
南塔では300段以上ある螺旋階段を登ったところにある地上72メートルの展望台からの風景が素晴らしいのですが、
改装中で、全面幕に覆われていました。
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<北塔からの眺め>
北塔の名物はプンメリンと呼ばれる大鐘です。この大鐘は1683年にウィーンを包囲したトルコ軍が退却した後に
残されていた大砲を溶かして作られたそうです。暗くて写真には撮る事ができませんでした〜。
これは、北塔の展望台からの眺めです。
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<寺院の屋根>
北塔の展望台から見える寺院の屋根には、モザイク模様が描かれています。
ハプスブルク家の新しい鷲の紋章も描かれていました。
正直言って、展望台から眺めるウィーンの町並みは、新旧の建物が入り乱れ美しいものではないです。
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<シュテファン広場>
見下ろしてみました。シュテファン寺院の下はパーフォーマンスをしている人々、
例の中世の格好をしたチケットセールスマン、観光客や馬車で賑わっています。
シュテファン寺院を中心としたウィーンの旧市街(リンク内部)は世界遺産に登録されています。
あ、そうそう、展望台に高所恐怖症らしきイタリア青年が、何を思ってか上ってきていました。
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<イタリア青年>
そのイタリア青年は、ボクたちが降りようとエレベーターを待っていると、順番を抜かして、我先にと進んで行こうとします。
通路が狭いので、それが無理だとわかると、怖い怖い・・を連発して壁にくっついていました。
「こんなにいい風景なのに」と言うと「とても見るゆとりはありません・・」と。
エレベーターに乗り込んだ彼は、ほっとした表情で「怖かった〜」(笑)
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<パーフォーマンス>
シュテファン寺院の前には、芸大の若者達でしょうか?
写真のような格好で、まるで彫刻のようにピクリとも動かずに立っています。
大勢の観客が見ていると、突然動き出し、みんなビックリ(笑)楽しいパーフォーマンスです。
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<クイズ第一問>
さて、ここでクイズです。
中世貴族の格好をして音楽会のチケットを売ろうとしている青年の後ろにあるモニュメントは
何でしょうか?・・・という内容でしたが、正解はペスト記念柱でした。
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<ホーフ・ブルク>
ホーフ・ブルクはハプスブルク家の歴代皇帝が代々住んだという宮殿です。
13世紀から20世紀初頭にかけての640年間、何度も増築を繰り返した結果、
複雑で壮麗な建物へと発展しました。これは、19世紀末に完成したミヒャエル門。
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<ミヒャエル門>
ミヒャエル門の前にはヘラクレス像が4体、そして、王宮内部を案内する観光馬車が並んでいました。
そして門の中に『シシィ博物館』や『皇帝の部屋』として公開されている王宮の内部への入り口があります。
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<シシィ映画>
ロミー・シュナイダー主演のシシィ映画に、当時の宮廷家具保管所は、多くのオリジナル家具を提供しました。
これらの家具が、宮廷家具調度品博物館の常設展に見る事が出来ます。
王朝時代実際に宮廷で使われていた家具の数々は、1950年代前半に制作されたロマンチックな映画に、
実在感と歴史的な重みを生み出したと言われています。
シシィ映画は1950年代以降の映画に大きな影響を与えるとともに、
画面におけるエリザベート皇后のイメージによって、伝説のヒロインを生み出す決定的な役割を果たしました。
様々なスチール写真、小道具類、写真、ポスター、シシィ皇后の愛用品が展示され、
歴史上のエリザベート皇后と対比されます。館内は日本語のガイドもあります。
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<ドームの内側>
これは、ミヒャエル門のドーム内側の美しい模様です。
さて、
エリザベート(シシィ)は、本来エリザベートの姉ヘレーネの見合い相手だった
従兄である皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に見初められ、婚約することになりました。
彼女は16歳で結婚、オーストリア皇后となりました。
しかし、自由人だった父の気質を多く受け継いだ皇后は、母方の伯母で姑であるゾフィー大公妃がとりしきる
宮廷の厳格さが耐えられなかったようです。彼女は宮廷生活を嫌い、
理由を見つけてはウィーンを離れることが多くなりました。
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<皇妃エリザベート>
シシィが心安らぐ最高の場所としたのは、当時オーストリア帝国の一部となっていたハンガリーだったとのこと。
エリーザベトはハンガリーに関しては非常な情熱を傾け、過去に分割・被支配と様々な苦難の歴史をたどった
ハンガリーが現在平和な独立国家となった礎を築いた人物として今もハンガリーの人々の心に生き続けています。
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<漆喰彫刻>
エリーザベトは当時のヨーロッパ宮廷一といわれた美貌と、ウエスト50センチという驚異の体形の持ち主でした。
過酷なダイエットや美容方法でそれを維持していましたが、年を取るにつれて顔を扇で隠すようになり、
それが彼女の立ち居振る舞いを表す姿として伝説となっています。
写真は、ミヒャエル門の中にあった、漆喰彫刻ですが、何を表しているかは不明です。
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<ウィーン少年合唱団>
さて、王宮で忘れてはならないのがウィーン少年合唱団ですね。前身は1498年に誕生した王宮礼拝堂専用の
少年聖歌隊です。6〜18歳の少年のみで構成され、礼拝堂で行われるミサの賛美歌を担当していますが、
実際に歌うのは、6〜12歳くらいまでの少年のようです。
この写真もミヒャエル門の中にある漆喰彫刻。文字から判断すれば、何かを象徴しているのだろうと思います。
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<旧王宮>
ミヒャエル門を抜けると、旧王宮の中庭に出ます。
中庭の中央には、オーストリア帝国の初代皇帝フランツ1世の巨大な像が立っていました。
その横を観光馬車がひっきりなしに通り過ぎていきます。
フランツ1世は、神聖ローマ帝国最後の皇帝でもあります。
1792年に神聖ローマ帝国の皇帝に即位してフランツ2世を名乗りましたが、
1804年にナポレオンがフランス皇帝に即位するとオーストリア皇帝フランツ1世を名乗って対抗します。
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<フランツ1世>
しかし、ナポレオンに敗北、1806年に神聖ローマ帝国の皇帝を退位します。神聖ローマ帝国の終焉です。
以後、彼の統治する領土はオーストリア帝国と呼ばれます。
写真は宰相宮です。マリア・テレジア女帝の宰相カウニッツ伯爵の部屋があったことが名前の由来です。
ホーフ・ブルク内については下調べができていなかったので、行き当たりばったりで回ってみました。
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<アウグスティーナ教会>
アウグスティナー教会は1327年にアウグスティン修道会のために建設されました。
1634年に宮廷教会となり、ハプスブルク家のさまざまな儀式に利用されるようになりました。
フランツ・シュテファン皇帝とマリア・テレジア女帝、2人の長男ヨーゼフ2世とイザベラ妃、
フランツ・ヨーゼフ皇帝とエリザベート皇后たちの結婚式もこの教会で執り行われました。
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<マリア・クリスティーナの 記念碑>
この教会で一際目をひくのが「マリア・クリスティーネの記念碑」と呼ばれるイタリアの
彫刻家アントニオ・カノーヴァの作品です。
マリア・クリスティーネはマリア・テレジア女帝の四女。女帝は16人の子供の中でクリスティーネを
「ミミ」と呼んで特別に可愛がり、他の子供たちを政略結婚させた中で唯一、恋愛結婚を認めました。
この記念碑はクリスティーネの夫アルベルト大公が、彼女の死を悼んでつくらせました。
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<クイズ第二問>
ここは、王宮内部、アウグスティーナ教会の前にある広場です。さて、ここでクイズです。
この広場の中央に建てられているのは誰の像でしょうか?
・・というクイズでしたが、正解は皇帝ヨーゼフ二世。広場はヨーゼフ広場でした。
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<新王宮>
この写真は、王宮庭園側から見た新王宮の裏側の写真です。
実は、よく調べないまま回っていたので、新王宮の正面や英雄広場も逃してしまいました〜。
新王宮は、19世紀末〜20世紀初頭にかけてリンク整備の一環として建てられたもので、
本来の計画では、英雄広場をはさんで向かい合う2棟の宮殿になるはずだったそうです。
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<新王宮>
しかし、ハプスブルク家の退位により未完となり、現在の形に留まっています。
内部は、武器コレクションを展示する中世武器博物館や古楽器博物館、エフェソス博物館などが公開されています。
歩きつかれたので、新王宮の右隣にあるオープンカフェで休憩。日本ほどではないのですが、
8月も後半だというのにウィーンは結構暑かったです。
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<王宮庭園>
庭園の中には、ウィーンの若者達がたくさん群れていました。
群れているという言葉は好ましくないかもしれませんが、群れるという表現がピッタリの集団でした。
若者らしく、思いっきりおしゃれをした派手な若者達が、こういう庭園で群れているのは
なんだか可笑しかったです。(笑)
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<モーツァルト像>
かつて一般市民が入ることができなかった王宮庭園も、ハプスブルク王朝終焉後は一般市民に公開され、
人々の憩いの場となっています。やはり、オーストリアにモーツァルトは欠かせないようで、
庭園にはモーツァルトの像が立っています。像の前にはト音記号が花で形造られていました。
ここは、記念写真のポイントになっているらしく、人がいないときを狙うのは難しいです。
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<王宮の西隣>
王宮の西隣には、美術史博物館があります。ここは、ハプスブルク家の膨大なコレクションを収蔵している
ヨーロッパ屈指の博物館です。フェルメール、レンブラント、ルーベンスといった
巨匠の作品が展示されているのです。一通り見るには1日がかりになるため、今回は断念しました。
その他、リンク周辺ではヴォティーフ教会や市庁舎、国会議事堂、ウィーン大学など見所がたくさんあります。
これは、今度来た時の楽しみに残しておくとして・・(^^ゞ
次にボクたちが選んだのはウィーン郊外にあるプラーター遊園地です。
ここには、映画「第三の男」で登場する、高さ65mのクラシックな観覧車があるのです。
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<大観覧車>
地下鉄を乗り継ぎ、ウィーン郊外のPraterstern駅下車、プラーター公園にやってきました。
地下鉄を降り、方向が分からないまま10分ほど歩いていると、広さ600万m2の公園が見えてきました。
いつものことながら、いいかげんなものです。(^^ゞ
公園内には遊園地があり、多くの人々で賑わっています。
高いところ大好きなボクは、真っ先にこの観覧車に駆けつけました。
見ての通り、大観覧車の一つのゴンドラは大きくて、一度に10名がゆったりと乗ることができます。
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<記念写真>
観覧車のチケットには、記念撮影の料金も含まれてて、乗り込む前に写真を撮ってくれます。
帰りに、観覧車から顔を出して写っている記念写真を受け取ることになります。
観覧車は大人気で、乗るまでに20分ほど列に並ばなければなりませんでした。
見渡すと、東洋人はボクたちだけのようです。
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<ゴンドラ>
この観覧車にはゴンドラが15基ありますが、うち1基は内装がレストラン風の特別仕様になってて、
貸し切ってパーティや結婚式などに使うこともできます。
ボクたちが乗り込む前に、ちょうど降りてきた人たちのゴンドラがそれで、
中を見ると、ちゃんとしたレストランになっていました。楽しい趣向ですね。
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<ウィーンの眺め>
ボクたちが乗り込んだゴンドラには8人。ゴンドラの中は自由に歩き回れます。
観覧車からはウィーンの町が見渡せるので、あっちでパシャ、こっちでパシャ。(^^ゞ
ちょうど夕焼けが始まりそうだったのですが、残念ながらゴンドラが戻って来てしまいました〜
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<プラーター遊園地>
他にメリーゴーラウンド、ローラーコースター、ゴーカート、迷路やプラネタリウムなど、
250に及ぶアトラクションがあります。遊園地自体は入場無料ですが、アトラクションを利用する際は
それぞれにチケットの購入が必要です。料金はだいたい1ユーロから10ユーロまでですね。
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<夕焼け>
再び地下鉄に乗ってカールスプラッツ駅まで戻ってきました。
ライトアップされたカールス教会を撮るためです。
午後8時過ぎだったかな・・ちょうど、オペラ座の方向に夕焼けが見えました。
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<楽友協会ホール>
ウィーンフィルハーモニーが奏でるニューイヤー・コンサートでおなじみのコンサート・ホールです。
世界3大ホールに数えられる程の音響設備を誇っています。ライトアップされた姿も見事ですね。
カールス教会のすぐ北に位置しています。
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<カールス教会>
昼に見た感じとは全然違います。
教会の前に池があって、そこにライトアップされたカールス教会が綺麗に映っていました。
でも、あまりに近すぎて映りこんだ教会の姿を同時に撮る事はできません。
縦位置で、ぎりぎりフレームに納まるのですが、写真としては面白くないですね。
今回も、持参してきたレンズは、18−200mm、超広角レンズが欲しい〜
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<夜 景>
このあと、ボクたちは他の夜景を見て回らずに、ホテルに帰ってしまいました。
よく調べておけばよかったのですが、王宮や国会議事堂、市庁舎、ブルク劇場なども美しくライトアップされているそうです。
これも、次回来た時の楽しみに残しておくことにします(笑)
もう一つ後悔したこと・・・カールス教会も正面からだけでなく斜めからも撮っておくべきでした〜
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<トラム>
撮影を終えて、カールスプラッツから今度はトラムに乗って郊外のホテルに帰ります。
交通機関を利用するときは、日本でも同じですが、行き先と乗る電車を間違わない事が大事です。
ボクたちが乗ったトラムは間違いなくホテルに向かう電車だったし、降りる駅の名前も分かっていたのですが・・・
電車内のアナウンスがはっきり聞こえません。それに暗くて、今どこの駅に到着しているのかも分からない状態。
う〜ん、困った〜(^^;
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<親切な?おばさん>
トラムに乗り込んでから10個目の駅を過ぎた頃、混み合ってきたので、座席に置いていた手荷物を
のけると、乗り込んできたおばさんが、ボクたちの隣の席に「ありがとう」と言いながら座りました。
そのおばさんに、「****という駅で降りたいんだけど、どこかわかりますか?」と駅の名前を書いた
紙を見せながら尋ねたら、おばさんは、大きな声で「*?+??**+?・・」
(^^;こ・・これはチンプンカンプンなドイツ語。
こちらは英語で尋ねているのに、帰ってくるのはローカルなドイツ語です。
「次の駅がこの駅なのか?」「**?%#”!?」全く話がかみ合いません〜
しかし、しばらく話していると、かみあわないなりになんとか分かってきました。
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<親切な奥さん>
どうやら目指す駅は、このおばさんが降りる駅の次の駅だと言っているようでした。
とにかく、おばさんとの話がかみ合わないので、ボクたちもおばさんも大声で話し合っていました(笑)
このおばさんが降りた後、その向こうに座っていた3人の子どもを連れた奥さんが、
このかみ合わないやりとりを聞いていたようで、話かけてくれました。
「私達もそこに行くのです。宿泊しているホテルは×××ですか?」
と、ちゃんとした英語です。ラッキー♪「そうです、あなたたちもそこで降りるのですか?」・・・これがきっかけで、
その駅の近くに大きなショッピングセンターがあること、娘がそのホテルでバイオサイエンスの講習を受けたことなど
しばらくの間でしたが、話がはずみました。
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<最後のクイズ>
オーストリア最後の夜は、こんな風に楽しく?過ごす事ができました(笑)
やっぱり旅行の醍醐味は、地元の方と交流する事だとあらためて思いました。
ここで、最後のクイズです。ボクたちに話しかけてきた奥様は、ボクを見て「あなたは、音楽家ですか?」
と尋ねましたが、それは何故でしょうか?・・というクイズでしたが、正解は、ボクが無精ひげを蓄えていたからでした(笑)
翌朝、楽しかった思い出を胸に帰国です。ウィーンからイングランド ヒースロー空港へ、そこから成田まで11時間。
成田から伊丹に飛び、予約しておいたタクシーで自宅へ♪写真はウィーン空港です。
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終わり
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