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<ジヴェルニー>
1840年に生まれたモネが、43歳のときに移り住み、生涯を終えた場所、ジヴェルニー。 パリの西約70km、セーヌ川 が近くを流れる小さな村です。 周囲は牛が放牧されているのどかな風景で、モネが暮らした家と庭は、 印象派画家であるクロード・モネがその晩年に連作「睡蓮」を制作した場所として有名です。 モネの家は、現在クロード・モネ財団によって運営されており、4月から11月までの間、一般客に開放されています。
<睡蓮の庭>
オンフルールから132km、ジヴェルニーにやってきました。 ジヴェルニーのモネの家には二つの庭があります。「花の庭」と「水の庭」です。 睡蓮が描かれたのはこの「水の庭」、モネは多数の名画を世に残しましたが、本人は自身の最高傑作を この庭だと言っていたと言われています。
<水の庭>
モネが生涯をかけて描き続けた「睡蓮」の連作の画題となるこの庭は 柳や竹、そして日本から取り寄せた菖蒲や芍薬を植え、絵と同じように情熱を持ち設計し作り上げたそうです。
<「睡蓮」>
睡蓮といえば7月から8月に最盛期を迎える花なので、期待はしていなかったのですが、 池の一部にまだ残っていました。 これがモネの「睡蓮」<クリック>。似ているでしょうか?
<家の中から>
モネの家の前に広がる花の庭にやってきました。写真は、モネの家の中から庭を見た写真です。 さまざまな花が咲き乱れる美しい庭です。訪れる人も多く、ゆっくり見て回る雰囲気ではありません。
<モネの家>
モネの家の中は残念ながら撮影禁止ですが、膨大な日本の浮世絵コレクションで飾られ、 まるで浮世絵美術館のようです。ピンクと緑で統一され、蔦の絡まる家の外観も絵のように感じられますね。
<花の庭>
この庭はイングランドの庭と同じように統一感がなく、「自然さ」を大事にしているように感じられます。 いろいろな花は、それぞれが美しいのですが雑然としています。
<花の庭>
写真でも同じことが言えますが、実物よりも絵や写真のほうが美しい場合があります。 まさにモネの絵がそうで、明らかに実物よりも絵のほうが魅力的です。
<出口付近>
広い「花の庭」ですが、花の紹介をしても仕方ないのでこの程度でいいでしょう。 モネは花が好きだったのでしょうね。写真は、花の庭出口付近からの風景です。
<外へ>
モネの庭出口にもお土産屋さんがありました。 モネの「睡蓮」をプリントしたカップや小道具を販売していました。 この写真は、外に出たところの町並みです。
<夕 食>
ジヴェルニーを発ち75km、一路パリにやってきました♪宿泊は「エヴァーグリーンホテル」という台湾資本のホテル。 近くのレストランで夕食を取りました。前菜のトマトのサラダ、美味しかったです。
<夕 食>
メインはラザニアだったかな・・、食べている最中の写真ですみません。(^^; 味は?う〜ん、フランスに来て初めて濃い味でした、味は普通かな〜(わかりにくい表現ですね)
<パ リ>
花の都、芸術の町パリ、パリで連想するものといえば、ノートルダム・ド・パリ、エッフェル塔、凱旋門、モンマルトルの丘、 「パリのアメリカ人」、ローランギャロス、シャンゼリゼ通り、パリ・オペラ座、ルーブル美術館、パリ大学、 ソルボンヌ大学、「ムーランルージュ」、ルイ16世、マリー・アントワネット、「おしゃれ泥棒」・・・ いろいろと連想できますね〜。でもお洒落なイメージのフランスでは、中世の時代から悪臭漂うことで有名。 なんてったって、かつては路上に汚物をぶちまけていたのだから信じられません。
<エヴァーグリーンホテル>
パリで2連泊するホテルです。ルバロワ・ペレ地区に位置し、最寄駅は地下鉄3号線のポント・ドゥ・ルバロワ・ベコン駅で オペラやレピュブリック地区までは乗換不要です。 ベージュ色の外観で、ガラス天井になったロビーは明るくモダンな感じです。 客室も広くて、ひと通りの設備が揃っていました。
<エッフェル塔>
今日は1日パリ観光の予定です。まずは、シャイヨー宮のテラスから見えるエッフェル塔からスタート。 方角とすれば、東南に向かって逆行になる位置ですが、こんな感じになります。 夜にライトアップされたエッフェル塔を見るのもここがよさそうですね。覚えておこう〜
<シャイヨー宮>
1937年のパリ万国博覧会にあわせて、旧トロカデロ宮が取り壊され、新宮殿である現在のシャイヨ宮が建てられました。 エッフェル塔とはセーヌ川を挟んで対面しているために、このテラスからはエッフェル塔の全体写真を 撮ることができます。シャイヨー宮の内部は、今は博物館になっています。
<パリ市街>
パリはシテ島を中心に同心円状に発展してきました。 市内は20の行政区に区分されています。区は、パリ市街地の1区から、右回りの渦巻状に番号が付けられています。 1 - 4、8 - 12、16 - 20区は右岸に、5 - 7、13 - 15区は左岸に位置しています。 番号の大きな市街地は高級住宅地になっているとのことです。
<凱旋門>
次の目的地はルーブル美術館です。バスに乗って凱旋門を通り抜けていきます。 凱旋門は、1805年、皇帝になったナポレオンに対して、ドイツ、オーストリア、 ロシア、イタリアの連合軍に対して、劣勢にもかかわらず2倍の敵兵を劇的な 逆転勝利をおさめたことを記念して建造された門です。
<ラ・マルセイエーズ>
こちらのレリーフはリュード作の「1792年の義勇軍の出陣」です。 女神が義勇軍を鼓舞していますね、通称、「ラ・マルセイエーズ」、フランスの国歌になっています。
エトワール凱旋門はシャンゼリゼ通りの終着点のシャルル・ド・ゴール広場に建っています。
<エトワール凱旋門>
第二次世界大戦時、パリはナチス・ドイツに占領されます。このとき、義勇軍を組織して戦い、 パリを解放したのがシャルル・ド・ゴールです。 かつて、この場所はエトワール広場と呼ばれていました。凱旋門を中心にシャンゼリゼ通りを含む12本の道が、 星(エトワール)のように放射状に広がっていたためです。
<シャンゼリゼ通り>
エトワール凱旋門から、東はオベリスクのあるコンコルド広場まで全長約3kmまっすぐ伸びる通りがシャンゼリゼ通りです。 「オー・シャンゼリゼ」という歌のおかげで日本でも広く知られていますね。
<どこに行くか?>
実は時間をかけてパリの下調べをしてきたのですが、自由な時間をどう過ごすか綿密な計画は立てていません。 午前中はルーブル美術館、午後はまずノートルダム・ド・パリを見学して・・その後は? 成り行きに任せていると、時間だけがむなしく過ぎていくことは目に見えています。 どうせ全部見て回ることはできないのだから、一地区に絞って歩くことにします。
<ルーブル美術館>
ガラスのピラミッドが見えるこの光景はダ・ビンチコードという映画で見たものです。 ルーブル美術館はかつての王宮を改装し、1793年に開館しました。 ピラミッドの左手に見えている建物はリシュリュー翼と呼ばれている、広いルーブルの一角。
<逆さピラミッド>
入場券を販売しているカウンターは、地下の受付ホールの壁際にあります。 それで、一度チケットを購入すると、外に出てもチケットを見せれば再入場することができるのです。 写真は、待ち合わせに便利な地下の逆さピラミッド。
<30万点>
ルーブル美術館は半地階から3階まであり、建物はリシュリュウ翼、シュリー翼、デゥノン翼の3つに分かれています。 所蔵作品の数は、なんと30万点もあるため、目指す作品を絞らないととても半日では回れません。
<カリアティードの間>
古代ギリシア部門では、絵画がほとんど失われているため、必然的に彫刻が展示物になっています。 それも、ルーブルを代表する極上の彫刻が僕たちを魅了します。
<ヴィーナス>
一番右のヴィーナスは男性に対する拒絶を、顔の向きとその表情、そしてその肘を後ろにグッと突き出すことで表しています。 それに対して、左のヴィーナスは、その表情と顔の向きで、男を優しく受け入れる姿勢を表しているようです。
<ミロのヴィーナス>
ギリシア神話におけるアフロディーテ(愛と美の女神)の像です。 ミロのヴィーナスは、1820年、農夫のヨルゴスによってエーゲ海のミロス島で発見されました。
<アフロディーテ>
発見当初は、分断された状態だったそうです。「ミロ」は発見地ミロス島のラテン系名称で、 「ヴィーナス」はアプロディーテのラテン語名 ウェヌス(Venus)の英語読みです。 「ミロのヴィーナス」は発見場所にちなんだ通称で、正式名称は「アフロディーテ」です。
<永遠の美>
この彫像は、細部の特徴から、古代ギリシアのヘレニズム期(紀元前323‐31年)のものと考えられています。 感情を表わさない冷ややかなこの顔は、仮面をつけているような感じがしますね。 時と感情を超越したこの「ギリシア型横顔」は、中性的な印象を受けます。 顔の長さは鼻の長さ3つ分で、額と鼻とが一直線につながり、時を越えた 美を表現しているようです。
<マルスのロトンド>
ドゥノン翼1階展示室5、通称「マルスのロトンド」。 このロトンドは、かつてルーヴル美術館の入口として用いられ、ドゥノン翼とシュリー翼のちょうど境目にあります。
<天 井>
天井には、煌びやかな浮彫や彫刻で彩られたジャン=サイモン・ベルテルミによる天井画があります。 題材は「ミネルヴァの前で人間を創造するプロメテウス」。 アーチ左右に施されている金色の衣をまとった女性の彫刻も美しいです。
<サモトラケのニケ>
ニケは大きな階段を上がったフロアに立っていました。 この力強い羽根を付けた勝利の女神は、ヘレニズム時代の彫刻の代表的な作品で、 なんとも言えない魅力的な作品です。 船のへさきに置かれていた女神だそうです。
<戴冠式>
ナポレオン一世は、パリのノートル=ダム大聖堂で1804年12月2日に挙行された自身の戴冠式を 不滅のものとするため、ダヴィッドにその絵を描くよう依頼しましたが、 ダヴィッドはこの巨大な作品を仕上げるのに3年を要しました。
<モナ・リザ>
モナ・リザは人垣のはるか向こうで微笑んでいました。 幾重もの人垣を掻き分けていってもその傍に寄ることはできません。 おまけに、防護ガラスの中に収められているため、写真を撮ってもこんなピンボケになってしまいます。 で、その雰囲気だけを味わってきました。
<民衆を導く自由>
「民衆を導く自由」は、1830年に起きたフランス7月革命を主題とするウジェーヌ・ドラクロワによって描かれた絵画です。 日本にも貸し出されたことがあるので、日本では有名なのですが、ドラクロアの絵画としては騒ぐほどの 作品ではありません。
<アルジェの女たち>
1832年にドラクロワは外交使節団一行に加えてもらってモロッコ旅行をします。 その旅行の折、アルジェのハーレムを訪問してその思い出を基に1834年にこの作品「アルジェの女たち」を制作しました。 「民衆を導く自由」に比べて、繊細で輝くような色彩が印象的です。
<ニンフ>
フォンテーヌブロー宮の金の扉の為に1543年制作された「フォンテーヌブローのニンフ」。 フィリベール・ドロルムにより1551年から1555年の間にアネット城入り口扉上部に設置されていました。 作者は、フィレンツェのベンヴェヌート・チェッリーニ。
<プシュケ>
「アモルの接吻で蘇るプシュケ」は1793年アントニオ・カノーヴァの作です。 この彫刻は、キューピッドの愛が彼女の死の眠りを解いて結ばれるシーンを題材にした作品で、 大理石の質感もあいまって、非常に美しい彫刻です。
<土産物屋さん>
ここでは日本語の「ルーブル美術館」を紹介した本と、記念になる本の栞を購入しました。 日本で購入するよりもずっと安いのが嬉しいです。でも、買ったまま、まだ見ていません(笑)
<オペラ座>
ルーブル美術館を出て、昼食はパリ三越の近くにある和食レストランで、和食弁当をいただきました。 久しぶりの味噌汁と刺身♪美味しかったです。これは近くのパリ・オペラ座。
<パリ三越>
買い物に立ち寄ったのですが、なんと、店じまいをするということで、中はほとんど商品が残っていませんでした。 日本人としては、なんとなく寂しい気持ちがしました。
<信号機>
前に書いたと思いますが、突然変わる信号機です。 日本なら、青が点滅して赤になるタイミングを教えてくれるのに、ここでは突然赤になります。 でも、誰も信号に従いません(笑)
<日本食>
フランスでは割と日本料理の店が多いように感じました。 日本食ブームと言うのでしょうか、寿司屋さんからラーメン屋さんまでいろんな店を見かけます。 ただし、乱立する和食レストランの中には、いいかげんな和食もあるようです。 さて、腹ごしらえもできて、次はどこに行こうか地図とにらめっこです。 制約された時間の中でのんびりと、しかし効率よく回りたいものです。
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